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投稿一覧(最新100件)

震度5弱です。 当時は大阪は、「震度4」とされましたが、当時の大阪府内には気象庁の計測震度計は大阪管区気象台(大阪市中央区大手前)の一ヶ所だけであり、この大阪管区気象台の計測値があたかも大阪府全域の震度を代表するかのように思われていました。現在の様にくまなく計測震度計があったわけではありません。震度は地盤によって大きく異なり、気象台のような官公庁は「大手前」の地名が意味するようにお城の大手門 ...
確かに銭洲海嶺付近の海底活断層によるとする説が出されています。 https://www.jstage.jst.go.jp/article/ajg/2013s/0/2013s_240/_pdf/-char/ja しかし、可能性を提唱しているのであって断定はしていないです。 明応地震の特徴が、宝永や安政、昭和などと特徴が異なっていると考えられた根拠は、鎌倉の「津波が千度檀に到達して大仏殿が破壊された ...
諸説あって、どれが有力と確定されたものはないです。 遠田晋次は阿寺断層の可能性を唱えているが、これも完全には被害の分布を再現できておらず、阿寺断層単独の活動ではないでしょう。 https://www.jstage.jst.go.jp/article/zisin1948/47/1/47_1_73/_pdf 今のところ、被害の分布をもっともよく説明しているのは飯田汲事による、1月16日に ...
1975年(42年前)に安藤雅孝が南海トラフ沿いの歴史地震について論文を出しています。 http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/004019517590102X 金森博雄が1944年東南海地震と1946年南海地震のメカニズムを調べ、プレート境界で起こっていると唱えたのが1972年ですから、"南海トラフ沿いの巨大地震"と言い出したのは ...
またお会いしましたね。 気象庁マグニチュードとモーメントマグニチュードについてはyoshimy_sさんが解説しているし、lengdzai08さんが言うように過去にMw9以上の地震がなかったという根拠もありません。 補足説明すると 宇津徳治のマグニチュードですが、これは宇佐美龍夫による推定値が元になっています。宇佐美の値は詳しくは『日本被害地震高覧』を参照。宇津の値は『地震の事典』 ...
>駿河湾沖ではもう160年ほど地震がないとのことでひずみが蓄積される 1976年に石橋克彦が出した「駿河湾地震」(いわゆる東海地震)仮説です。 駿河トラフのプレート境界の収束相対速度は年間2㎝程度です。他の遠州灘から土佐湾沖の相対速度5~6cmよりずっと小さいのです。160年経過したからと言って他の部分の1/3程度でしか歪み蓄積が無いことに注意が必要です。 南海トラフのプレート間が固着し ...
「超巨大地震」自体、正式な学術用語では無いので厳密な定義はありません。M7以上が大地震で、M8以上は巨大地震と何となくマスコミも科学者も漠然と用いてきた。その流れでM9(M9はモーメントマグニチュードの考案によってはじめて登場)以上は・・となっています。それも曖昧です。 海溝沿いのプレート境界地震は通常M8クラスの巨大地震となることがしばしばありますが、中には隣接するM8クラスの巨大地震の震源域 ...
沈み込み角と、その沈み込み帯で起こるプレート境界の地震の規模との関係と言えば "比較沈みこみ学"です。 https://www.depts.ttu.edu/gesc/Fac_pages/Yoshinobu/5362-Tectonics-Web/pdfs%202012%20Tectonics/Uyeda%20and%20Kanamori,%201979%20back%20arc%20open ...
"東海地震"といっても ①南海トラフの紀伊半島より東側半分が震源域になる地震 ②駿河湾のみが震源域となる、いわゆる想定東海地震(昭和東南海地震の割れ残り仮説) の二つの意味で用いられているので注意。良くマスコミで騒がれてきた東海地震は後者の②で歴史上は起ったことが確認されていない。 また、地震を周期で語ること自体適切ではないが、定説とされてきたものでは「短い周期」の100年 ...
銭洲断層系が既にフィリピン海プレートとユーラシアプレートとの力学的境界になっているという見解があります。いわゆる想定"東海地震"の震源域とされてきた駿河トラフは古傷であって最早南海トラフの延長では無いというのです。 http://sakuya.ed.shizuoka.ac.jp/rzisin/kaishi_29/HE29_263_263_Matsuura.pdf これまで、駿河湾つまり"東 ...
P波の伝播速度は Vp = √(λ+2μ/ρ) S波の伝播速度は Vs = √(μ/ρ) λ、μはラメの定数、特にμは剛性率で弾性定数に相当、ρは密度です。 つまり地震波の伝播速度は岩盤の剛性で決まる。液体ではμは0になります。 地殻流体とは、海洋プレートがプレート境界に沈み込むとき、海洋プレートの地殻部分は岩石が海水と反応して水和物となっているため、これが沈み込めば高圧で脱水 ...
あなたが習った、"沈み込み角"が浅いほど巨大地震が発生しやすいと言う理論は 1979年に上田誠也と金森博雄が提唱した「比較沈みこみ学」です。 1960年チリ地震や1964年アラスカ地震など超巨大地震がこのようなところで起こっているという事実から導き出されたものでした。 しかし、超巨大地震は20世紀以降では高々数個しか例が無いため、2011年東北地方太平洋沖地震はこれに当てはまらないとなっ ...
日本付近でM10の規模の地震 有り得ません。 北アメリカからカムチャツカ半島、そして、日本の南にかけての海溝沿い8800キロの断層が20メートルずれ動くとマグニチュード10になる可能性を説いた東北大学の松澤暢の地震予知連絡会会報の論説には 「最大規模の地震についての極めて荒い推定にすぎない.学問的には極めて稚拙なレベルの話であり,通常,学会等での検討の俎上に載せられるような話では ...
大まかに言えば、どちらもプレート間に蓄積していた歪みが解放された、低角逆断層の巨大地震という点では同じです。 詳しく見れば、この二つの地震は違います。 1960年チリ地震は、低角(10°程度)の沈み込み帯で発生した地震で、もともとこのような南チリのような底角の沈み込み帯は、プレート間の固着が強く歪みエネルギーを蓄えやすく超巨大地震が起りやすい場所と考えられていたところです。 対して2 ...
高密度の観測網が張り巡らされた日本で起こった東北地方太平洋沖地震は超巨大地震としては最も詳細な観測記録が得られ、この地震以降様々な仮説が発表されていることは質問者もご存じと思います。 では、私も仮説というか感想程度のものですが一言。 千島海溝沿いは古く分厚い太平洋プレートの沈み込み帯で、沈み込み角などその性質は日本海溝像に類似していると考えます。千島前弧スリバーの下に沈み込むとしても状 ...
高密度の観測網が張り巡らされた日本で起こった東北地方太平洋沖地震は超巨大地震としては最も詳細な観測記録が得られ、この地震以降様々な仮説が発表されていることは質問者もご存じと思います。 では、私も仮説というか感想程度のものですが一言。 千島海溝沿いは古く分厚い太平洋プレートの沈み込み帯で、沈み込み角などその性質は日本海溝像に類似していると考えます。千島前弧スリバーの下に沈み込むとしても状 ...

1 0 0 0 OA 本朝地震考

830年(天長7年)の出羽国大地震は「類聚国史」が元文献。 850年(嘉祥3年)の出羽国大地震は「文徳実録」が元文献。「日本三代実録」にも同様の記述有。 で史料は現段階ではこの程度しか知られていません。原文は以下のリンクにあります。 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography1889/10/9/10_9_519/_pdf この ...

18 0 0 0 OA 本邦大地震概説

830年(天長7年)の出羽国大地震は「類聚国史」が元文献。 850年(嘉祥3年)の出羽国大地震は「文徳実録」が元文献。「日本三代実録」にも同様の記述有。 で史料は現段階ではこの程度しか知られていません。原文は以下のリンクにあります。 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography1889/10/9/10_9_519/_pdf この ...
高知県ほど激しい津波にはならず、地震発生から津波到達まで時間的余裕があるという意味で、津波の危険はないということは決してありません。 最近に発生した1946年の南海地震では瀬戸内海側は大したことは無かったのですが、宝永や安政の地震では瀬戸内海にも2~3メートルの津波が入り、被害も出ています。大阪などは大変な被害になったのです。感覚で判断せずに、よく記録を調べたほうが良いです。 https: ...
阪神・淡路大震災とは、1995年(平成7年)1月17日5時46分に発生した、兵庫県南部地震(気象庁マグニチュード7.3、モーメントマグニチュード6.9)によって引き起こされた地震災害のことです。 1923年関東地震による関東大震災が主に火災、2011年東北地方太平洋沖地震による東日本大震災が主に津波による地震災害だったのに対し、阪神・淡路大震災は住宅倒壊による圧死が主となる地震災害といえるで ...
「東海地震」と呼ばれているものには、2つの意味があると考えています。 一つは、南海トラフの紀伊半島より東側半分が破断する巨大地震で安政東海地震などを指し、これには東南海地震の震源域も含まれています。 もう一つは1854年の安政東海地震は駿河湾沿いで激震であり、断層や隆起が生じていることから駿河湾奥深くまで震源域が延びていたと考えられるのに対し、1944年の東南海地震は断層破壊が遠州灘沖で止 ...
東北地方太平洋沖地震は地球規模の観測網、地震後の津波遡上高など詳しい調査がなされ、情報量が多いのに対し、宝永地震は日本の各都市の被害状況が古文書に残るのみで、情報量に差がありすぎ単純な比較は困難です。さらに宝永地震の津波の遡上高はかつて誇張があるんじゃないか、そんなの有り得ないだろうと言われていたのが、東北地方太平洋沖地震が起きて初めて、やっぱり有り得るなんて話になったのです。 どちらが大き ...