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投稿一覧(最新100件)
ア フ リカ 大 陸 に お け る キ ャ ッ サ バ の 毒 抜き 法
http://ci.nii.ac.jp/els/110004041170.pdf?id=ART0006300348&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1423284471&cp=
着目点、日本におけるヒガンバナやソテツの毒抜き法や、ジ ...
ファラデーが気になる。そのイメージのあり方とか、、、
http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/55838/1/H24_natsume.pdf
文体的性格 特有語
http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/53554/1/nihongo09_03.pdf
http://www.interaction-ipsj.org/archives/paper2013/data/Interaction2013/oral/data/pdf/13INT001.pdf
だんだ ...
アブー・ライハーン・ムハンマド・イブン・アフマド・アル=ビールーニー著
『占星術教程の書』( 1 )
http://www.asafas.kyoto-u.ac.jp/kias/1st_period/contents/pdf/kb3_2/17biruni.pdf
「まあ、数理哲学や論理学は数学の楽しみと近いところにあるが、社会科学となると数学的把握はピュアすぎる。もっと生臭いもんやから。」と以下の ...
染色体微細構造に関する最近の知見という項目にファイリング・システムと染色体の関係があれこれかいてある。
染色体微細構造の解析 と放射線障害評価
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jhps1966/9/3/9_3_159/_pdf
発想のはじめはときどきこんな話をするけども、古代における占いとか宗教の役割の一つとして、その当時の百科事典的な知識を収納する整 ...
フグはなぜ自分のフグ毒に 中毒しないのか
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kagakutoseibutsu1962/33/9/33_9_585/_pdf
ヤモリがヤモリの指を理解しないように、
ヒトはヒトの指を理解しない。
だから、私が私の周囲に、私自身が理解できようもない迷宮を築き、
煙幕巻いているように他人から写っても私の責任ではない。
可能世界的仮想世界 あるいは 仮想世界の可能世界的運用 フレーズとしてはどうだろう? ちなみに私の印象は魔界の匂いがぷんぷんする。そこにハマると生きては戻れない感じ。
http://ci.nii.ac.jp/naid/110001846683
まったくのアナロジー読みを必要とするけど、ここでいうところの
「二項対立による,「教える-教えられる」といった固定的な役割関係ではなく,参加者一人ひとりが一個人として自らの考えを表現し,他者の意見に耳を傾ける場の構築を目指した。」https://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/26451/1/02_04Arai.pdf
というところ、 ...
探 究 と 問 答 法 の 前 に
一 ア リス トテ レ ス を め ぐる 反 発 展 史 的解 釈 に つ い て の 断 想
一http://ci.nii.ac.jp/els/110000985445.pdf?id=ART0001163442&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1408783230&cp= ...
日本語と韓国語の文末形式に関する対照研究
http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/52646/1/lis00903.pdf
日本語の場合は終助詞といい、韓国語の場合は終結語尾という。
そして、付加的な要素か必須な要素かという意味で機能は違うらしい。
なんとなくではあるけど、諸言語は優れた言語学者の仕事がないと、「その言語の奥に入る」ということは難しいような気がする。膠着語であるモンゴル語の分野では田中克彦という有名が研究者が出たりしているので、膠着語の中では比較的研究も蓄積されているだろうと思い、ちょっと調べてみたら、『モンゴル語の間投詞の意味と用法について』というのがあった。語尾変化とは違うけど、面白そうなので載せてみた。といっても興味持つ ...
そういうわけで、イメージの源流がどうのという話になってくる。
(以下引用)
チャビン文化は、アンデス山中を北流してアマゾン川に合流するマラニョン川の小支流モスナとワチェクサ両河の合流地点にある、海抜3,100m強の一大祭祀センター、チャビン・デ・ワンタルをタイプ・サイトとする。
(引用ここまで)
http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitst ...
「森林限界」「植生」「地図」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/tga1948/38/3/38_3_167/_pdf
文学と数学において共通して大事なのは、美的感受性なんです――藤原正彦さん
http://blog.goo.ne.jp/chorinkai/e/ce8f56928adce3f45e1e80a6d5cf059a
(以下引用、たぶん孫引き)
【 ...
東アジアと南アジアの比較ならある。南アジアの経済が注目されたせいもあるかもしれないけれど。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjasas/2010/22/2010_22_170/_pdf
いろんな縮尺率でものごとを比較すると何かみえてこないかな。
”アイデアは伝播する” ”アイデアの伝播” でちょこちょこやってたら、「引用空間」なる概念を引き当てた。福引か。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjhg1948/40/4/40_4_319/_pdf
図式について
情報伝達デザイン教育のための一考察
http://www.gifu-cwc.ac.jp/tosyo/kiyo/60/zenbun60/Zushiki_Ogawa.pdf
図表現の基本的方法(研究会「形と空間」,形態形成の科
学的研究(II),科研費研究会報告)
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/9 ...
この文書の中で一番、気になったキーフーズは「ラングへの入り損ね」という表現だった。https://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/27590/1/035.pdf
一方、私がむやみに検索エンジンを使い込む理由は、「ラングを出し抜く」野心を心に秘めているからではないだろうか?
ラングを出し抜く、すなわち国語を探求することによって、言語の檻 ...
草狩り機でじゃんじゃん、草を狩り、チェーンソーでじゃんじゃん樹木を切っている。ノコギリが伝来したときも、相似な風景は見られたはずだ。これもアナロジーである。山の神に祈る敬虔さ、謙虚さはどんどん失われていった。
”ニューギニア” ”石斧” ”鉄斧” ”秩序” で検索したら以下の文章が出てきた。
http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstr ...
拾い物のいいまわし以下引用
「小さいといって自ら卑しめるに及ばぬ。小さいは小さいながらに、大は大ながらに、その持っている全てを表現すればよいのだ、これがシンセリティ(誠実)だと、こういう風に自分は感激したのだ。」
「一枚の木の葉、一粒の水滴、一粒の結晶、一瞬の時間、は、全体にかかわっており、そして全体の完成にかかわっているのである。全ての分子が一つの小宇宙であり、世界の似姿を忠実に表現する。〔 ...
どこぞの馬の骨ともわからないものが書いた文書が読み込まれるということは恐ろしいことである。以下の太平経という文書は農村に住む下層の知識人が書いたものらしい、それを張角という人物が読み込み、じゃじゃーん、三国志の幕開けである。
http://flamboyant.jp/prcmini/prcbook/prcbook086/prcb086.html
http://repository.dl.itc.u ...
生物 分類学 と図書分類学 のか なたへ
-中 尾佐助氏 の普遍分類 学 に学ん で-
https://www.jstage.jst.go.jp/article/igakutoshokan1954/38/1/38_1_29/_pdf
関節リウマチもあったり、そもそも、運動音痴で体力というものがなく、危険な場所もあったりするフィールドというものにほとんど行かず、図書館にこもりっ放しで、そのありさま ...
距離感というのを意識するのは私が鹿児島に住んでいるから。いろんな人に話しても、専門を持っているほどわかってもらえなかったのは、中央との距離を逆手に取るという事項。大体の人は距離を障害と感じていた。
距離による制約を情報の絞り込みと考え直す方法はないものか?
ネットで瞬時に情報が共有されうる時代でも、そんな時代であればこそ、逆に、中心と周縁での情報格差も意識されるというものである。
私は文字の読 ...
「情報の顕在化」というのがなんだかキーフレーズだと思った。でも、それは十二分に慎重にやらないと迷惑をかけてしまう。以下のようなことにひねりを加えてセカンドライフで情報の顕在化の実験を行うとすると、セカンドライフはなにやら面白そうな実験環境に化ける。むしろ、既存の作られたコンテンツを生かすようなやりかたで、いろいろ情報の顕在化の実験みたいなことを積み重ねつつ経験としていけばいいかもと思った。
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想像力を拡げ、大きな歴史を考えてみると
私たちはある種のローマ帝国後期の人間と
同じような役割を担っていて、帝国崩壊後
の中世の人間ではもはや考えることのでき
ないようなことを考え、それを表現として
残す自由と、そして責任を担っているので
はなかろうか?
http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/37355/2/ChichukaiKe ...
ローカルな知 生きた知識 本の中に納まっている
死んだ知識に生命を与えるにはどうしたらいいのだろう。
身体化された生きた知識もメディアの中では眠っている。
読み込むことで別の形で命を与えることはできるし、
脳が直接リンクされないことの積極的な面でもあるかも
しれない。
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/17638 ...
生活的知識は生活環境の中で身につくかも。とすると所与の環境をどうデザインするかが重要。同じ環境でも受け取り方で情報量は全然違っていくるから。
http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/497/1/KJ00000688267.pdf
法界という仏教用語について説明している文章を見つけた。
宗教のことは私はやっぱりわからないと個人的には思って
いるのだけど、素人の読んだ印象をちょっと。
http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/7385/1/ib006004.pdf
家に衝動買いした『ラマヌジャン書簡集』という本がある。
素人による数学への憧れから ...
”ひらめく自由”で以下の文章を釣り上げた。
応用範囲は広く、何も研究者でなくともいえること
なのではないか?「ひとがひととして生きる」とか
「自分が自分になる」とか。与えられた境遇に向き合い、
その人なりの一種の考案とし、自分なりの解答を与えていく。
といっても、どこが問題なのか、着目すべきところに着目せず、
真の問題から遠ざかっている、あるいは目を逸らしているという
ことは自分の胸に手を当ててみ ...
いろんな人やら、いろんな分野での言葉の使い方、あり方、
いろいろ観察してみて面白い。たぶん野次馬的理解以上の
水準まで、私はいろんな分野についてわかることはなかろう
と思うのだけど、覗き見できるのは、ある意味、豊かな
情報環境といえるだろう。と、偉そうなことを書いていると、
遠くや近くのくすくす笑いが聞こえてきそうだ。
http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/ ...
見えない世界、未踏の大陸、動植物の採集旅行といった
テーマは、そんなにおどろおどろしいものでもないだろう
と思ってたら、やっぱり先客、というか先人はいた。
というかある種、王道だったのかもしれない。獣道に外見上
見えただけで、案外「そこ」は踏みならされた旧道だったの
かもしれない。
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/243 ...
情報の隔離に何か積極的な価値はないものかと漁っていたら発見しました。日本の端っこに住むみなさんに朗報です。https://www.jstage.jst.go.jp/article/biophys/48/4/48_4_213/_pdf