Libra (@Libra_Critical)

投稿一覧(最新100件)

叡山僧の鎮源は、日蓮よりも前に常不軽菩薩に注目した人といってもいいのではなかろうか。 https://t.co/HTb92B07vF https://t.co/Hu5C6GgBtI

5 0 0 0 OA 日蓮正宗部

日寛の説↓ 「本因妙の教主釈尊とは即ち是れ蓮祖聖人の御事也」 (日蓮宗宗学全書 日蓮正宗部 観心本尊鈔文段下 p. 219、https://t.co/oH77uLEzkE) 「本因妙の教主釈尊とは即ち是れ末法出現の蓮祖聖人の御事也」 (日蓮宗宗学全書 日蓮正宗部 末法相応鈔下 p. 83、https://t.co/9ntzmAGhtf) https://t.co/xYDwPdahCN

5 0 0 0 OA 日蓮正宗部

日寛の説↓ 「本因妙の教主釈尊とは即ち是れ蓮祖聖人の御事也」 (日蓮宗宗学全書 日蓮正宗部 観心本尊鈔文段下 p. 219、https://t.co/oH77uLEzkE) 「本因妙の教主釈尊とは即ち是れ末法出現の蓮祖聖人の御事也」 (日蓮宗宗学全書 日蓮正宗部 末法相応鈔下 p. 83、https://t.co/9ntzmAGhtf) https://t.co/xYDwPdahCN
日蓮は「妙法蓮華経の五字は経文に非ず、其の義に非ず、唯一部の意耳」(四信五品抄)といって文・義・意の三段階の浅深を語っている。証空も文・義・意を言っているらしい[※]。文・義・意というのは、当時の経典解釈の方法論としてすでに周知のものだったのだろうか。 [※]https://t.co/xBb6imRRcA
このことは苅谷定彦さんがもう何年も前に指摘していることである。苅谷定彦「法華経見宝塔品について」(印仏研通号21、https://t.co/Q18egWFFSS)を参照。実際、正法華では「不枯燥」(大正蔵第9巻、p. 104a)となっている。 「坐師子床肌色如故亦不枯燥威光端正相好如畫」 (大正蔵第9巻、p. 104a) https://t.co/jgvVyUnOvO
植木説は厳密には間違い。 大智度論では、舎利弗や須菩提らを「小乗人」と言っており、彼らは「小乗なりと雖も、憐愍心有りて、応に大乗を成ずべき者を観て、為に大乗法を説」くというから(大正蔵第25巻、p. 598b)。 鈴木健太「般若経註釈文献における「小乗」について」 https://t.co/ddVwMNPAgF https://t.co/P0mJDnwZfj
三枝充悳さんの「智度論に引用された諸經典について」(https://t.co/DLbrbAMZva)という論文が参考になった。 「智度論即ち龍樹の學派に於ける法句経乃至四阿含の原典・組織・内容と、現存のそれらとの懸隔は、相當著しいものがあつたことが想像されよう。」(p. 391) 八偈品も同様なのだろう。

13 0 0 0 OA 興尊全集

@kuzuresarugajou 日興の『白蓮弟子分与申御筆御本尊目録事』に「張本三人を召し禁めて斬罪せしむる所なり、枝葉十七人は禁獄せしむと雖も終に放たれ畢んぬ」(『宗全』2-116、https://t.co/j3w2iryLQU、コマ番号75)とありますから、厳密には「禁獄」です。国会図書館のデジタルのやつありますから、今すぐ読めますよ。
ツォンカパとの関連でいえば、やはり吉水千鶴子さんの「ツォンカパの無上瑜伽タントラ解釈」(https://t.co/A1SNDDTDzR)の指摘が鋭いと思います。

1 0 0 0 戒壇の原意

「仏になる道は善知識にはすぎず」というような主張はゴータマの説法にもありますね(https://t.co/aCM3lkKgm1)。仏教における戒壇の意味については、以下の論文が参考になるかもしれません(すでに読まれてるかもしれませんが)。 平川彰「戒壇の原意」 https://t.co/01Cvr01VFa https://t.co/fDXJqaQU7W
子供に対する深刻な人権侵害が行われているということなんですよね。 「現在福島県で起こっている事象はがん診療の転換期に起こった子供のがんの大規模な過剰診断として医学の歴史に残るものである。」 高野 徹「福島の甲状腺がんの過剰診断―なぜ発生し,なぜ拡大したか―」 https://t.co/mmM5OKLtC5
@saikakudoppo 例えば、1229年3月(このとき日蓮は何歳ですかね)に証空が当麻寺の変相のことを「曼荼羅」と書きつけた古柱が現存しているようです(森英純「初期の西山流における当麻曼荼羅の流伝」、『西山学報』通号13号、1960年7月、https://t.co/aXWMMnW9oW)。 https://t.co/IApGN9TQ41
@lumCIniNGnBDurw @vivanichiren @Shukubo_hobo @manashiki108 この論文の117~118ページを画像で引用しておきます。 張風雷「中国初期天台における仏性論の展開」 東アジア仏教学術論集 = Proceedings of the International Conference on East Asian Buddism : 韓・中・日国際仏教学術大会論文集 号 1 2013年 https://t.co/GlcdnBb6hd https://t.co/pNqWDPV4dr
@lumCIniNGnBDurw @vivanichiren @Shukubo_hobo @manashiki108 そもそも、修禅寺決のような説はチギの実相論にもとづく如来性悪説に反するように思います。チギの如来性悪説については以下の論文が参考になります。 張風雷「中国初期天台における仏性論の展開」 東アジア仏教学術論集 : 韓・中・日国際仏教学術大会論文集 号 1 2013年 https://t.co/GlcdnBb6hd
@lumCIniNGnBDurw @kuzuresarugajou @vivanichiren @trueno_miumiu @kGL1XlsCVc80Mph 密教の方のナーガールジュナと龍樹(中論の作者の方)の思想的関係については、個人的には、吉水千鶴子さんの以下の論文がとても参考になりました(だいぶ前の論文ですが)。 「Pañcakramaにおける三智・三空とprabhāsvara タントラ仏教における空性理解の問題点」 https://t.co/cxRMMbwukP

1 0 0 0 OA 熱原法難史

「文便」ってどういう意味なのでしょうか。どなたか、おわかりになる方がおられましたら、ご教示くださいm(_ _)m #文便 https://t.co/5MVukVBsQU https://t.co/BBqBfXxsxz
ちなみに、西山さんの仕事に対する中野さんの書評というのは以下のことをいってます。 [書評] 西山茂『近現代日本の法華運動 https://t.co/yTxf0VBDBQ https://t.co/JCVabp4kO9
「性と修は相互に関連しあうものであるが、性は決して修と同じではない。性とは可能性であり、修は現実性なのである。」(張風雷「中国初期天台における仏性論の展開─智顗の仏性論について ─」、『東アジア仏教学術論集 通号 1』、https://t.co/Iz5qkpMLnr) https://t.co/xmB0mn6SiD
加藤善朗 「当麻曼荼羅研究の意義」『西山学苑研究紀要』(通号 2、2007月3月、https://t.co/fJDQjlR4Wy)によれば、 『時範記』の承徳三年八月八日の条に「今日有御法事、其義□母屋中央間立仏台、懸極楽変曼荼羅[智光マンタラ也]」とあり、変と曼荼羅の並記が1106年にはすでにもうあった(p. 33)。 https://t.co/nsdXy7kYVI
例えば、1229年3月に証空が当麻寺の変相のことを「曼荼羅」と書きつけた古柱が現存している(森英純「初期の西山流における当麻曼荼羅の流伝」、『西山学報』通号13号、1960年7月、https://t.co/aXWMMnW9oW、p. 10)。 https://t.co/0HuumCFssq
@mwP0s8t4fiA7LWQ たぶんこれ。註のどこかにかいてあったはず。なかったらすいません。 https://t.co/uPwYtOHDuE https://t.co/g0nOgLE63Y

お気に入り一覧(最新100件)

フォロー(0ユーザ)の投稿一覧(直近7日間)

フォロワー(317ユーザ)の投稿一覧(直近7日間)