sakaikotaro酒井高太郎aka山師 (@sky_kotaro)

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200年前は布引岩とも言われていた。おおよそ領家変成岩のうちの泥質片麻岩とみていいだろう。優白部分が深成岩とも見え、ということはミグマタイトか。 https://t.co/5HJhGtgCbM https://t.co/K7iO0QcufS
鎌倉の砂鉄,赤目砂鉄から良質なケラを錬金というか錬鉄する実験.面白い. https://t.co/cvTKalQ3fe
リンクはこのあたり。禰津は伝わっているが、非持はおそらく例の検校豊平のあたりのことを言っているのだろう。 https://t.co/wYT93b0Aqb

2 0 0 0 OA 雲根志

石好きキッズたちの垂涎、木内石亭の「雲根志」。有名でもありながら、まだまだ読みきれていない。 https://t.co/YbaFjYzfRR https://t.co/QB0jY766Pt

2 0 0 0 OA 墓形笑覧

墓形笑覧、山口豊山。19世紀成立だと思うが、楽しい。 墓石の銘を読むのも好きだけど、形も嘆賞に値する。今も色々あるけれど、もちろん、昔も色々あった。 https://t.co/izDZIQGzqR https://t.co/fCBRjzMRHI
当時、ナウマンの帰国時に、今の南アルプスで主に知られていた山は、駒ヶ岳(甲斐駒3001→2967m)、赤石山(3093→3121m)、白根山(北岳か?3094→3193m)であった。ナウマンの列島構造に関わる古生層を代表するのに適当な選定としての赤石だったかどうか。 https://t.co/LuplTMBdAC

1 0 0 0 OA 山水美論

烏水行者がまとめた「山水美論」中の「甲斐山岳の形態美」は1907年頃には成立していたようだが、この中は今の北アルプスが「中央アルプス」または「北アルプス」となっていて、今の中央アルプス(木曽山脈)も含んだ「南アルプス」が分類として構想されていた。 https://t.co/Gh3G2xgOR0

1 0 0 0 OA 青崩崩壊地

20年ほど前に大室先生に示唆をいただいた青崩峠にやっとこさ、行ってきた。牧歌的なというだけでない何かがそこにはあり。歴史的なところで言えば、自分が探していたものは見つからなかったものの、これはこれで。 https://t.co/QHI4bSlavb https://t.co/58ewjpXjOl
「当日は生憎強雨なりしにも拘わらず来聴者五六拾名孰れも謹聴せり爾来会員次第に増加将来に望あり」とされている。こんな論文もあって、まあ津田仙あたりはいかにも関わってそうだけど、この潮田千勢は、たぶん飯田出身の彼女だろう。クラークやプロテスタントも当然に。 https://t.co/PUecCwT1MN
中央構造線というのはシンプルではないな、という感じ。この4ヶ月ぐらい新しい中央構造線の考え方を勉強しているが、やや複雑であるがゆえに合点がいく、ような気もしている。 https://t.co/0bghPFpJi2

5 0 0 0 OA 日本の祭

https://t.co/j8fCzhJ1DH この「信仰」も厄介であるに違いないが。もちろん柳田は「政治」すなわち「まつりごと」も視野に置いている。柳田は、変化後の祭を「祭礼」として、それは都市的なもの、見物人の群れが集まり、「参加」してくる人々に寄っていったものとして、以前の「祭」と分けて考えた。
メモ程度に。もちろん長野県の中では、飯田、伊那のあたりに多い、農村舞台。 飯田・下伊那地域の農村舞台https://t.co/gkjYDqpGyi 地域経済の発展と近世農村舞台の展開 https://t.co/GYgRzYZBuv https://t.co/ajQCTqg4u6
メモ程度に。もちろん長野県の中では、飯田、伊那のあたりに多い、農村舞台。 飯田・下伊那地域の農村舞台https://t.co/gkjYDqpGyi 地域経済の発展と近世農村舞台の展開 https://t.co/GYgRzYZBuv https://t.co/ajQCTqg4u6
RT @naoyukinkhm: 中央アルプスにおけるライチョウ移植事業の課題:北米のライチョウ移植プロトコルおよび IUCNガイドラインとの比較。長野 2022 (日本語論文、オープンアクセス) https://t.co/ndKYa2To6S 中央アルプスへの移植の際、北米の…
@goji_58_kancho 飯田伊那地方の最古と思われる五輪塔について、鍛冶と石工についての記述あり。 https://t.co/Gi2cRAxYga
@goji_58_kancho 場所は全く違いますが、高遠石工の活躍の時代の頃のゼネラリスト。水路開削、石工、鍛冶の連関。 https://t.co/Za2mby5OCL
うちの庭先でも目撃されたガビチョウ,自分はみてないけど https://t.co/siKsm9PK8n
#羅生門 しかし,芥川の羅生門を数十年ぶりに読み直したが,なんというかこんなメタなコメントでストーリーを停滞させるような,おかしな読み物だったか,なんといういとおしい.今昔物語集の元ネタにもあたる.https://t.co/GNGRExtOP6

7 0 0 0 OA 火の昔

これも名作「火の昔」.昭和19年の出版で少し前.明らかに戦火を意識しているが,若者や未来の子どもたちにむけ,「世の中が明るくなる」先を見て書かれている. https://t.co/CzWC6emTm2

3 0 0 0 OA 村と学童

そんな飯田にもゆかりのある柳田国男が,空襲下の東京といったらあれだが,その頃に「先祖の話」を書いていたのは有名な話.が,前も紹介した「村と学童」は疎開する子ども(5-6年生)にむけて,昭和20年の戦時下に書かれた. https://t.co/xC2kMW4Uul
https://t.co/wDQgof2dFn 1900年頃の日本にも既に3階建て以上の分房式監獄というのは紹介され推奨もされていたのだけど,二階以上の対面の房の間には吹き抜けの谷が横たわるのが理想ではあった.リヨンでは理想的にはいかなかったのか.

1 0 0 0 OA 日本浪人史

https://t.co/FoePHQ7cIx 午前中,「百姓が侍を雇う」という「七人の侍」の主題となったアイデアの典拠を探っていたが,見つからず.でも,このへんは当時のイデオロギーのあれも感じるが,なかなか穿っている.日本浪人史,石川恒太郎,昭和6年
なかなか面白い.産業と労働から50年代の邦画をみている.(下)も目を通してみた. https://t.co/E1mgtRh66t
が、どうも弥六でもなさそう。同郷の馬丁某氏。先に高橋邸に潜入していた輩がいた。もちろん伊那や高遠は中馬で馬を引いていた人が多いから、士族でなく百姓あがりかも。だとすると、不折の交流や意気が。 https://t.co/BrAqpmC0wR
なかなかのインパクトある絵面。岡田の語録もかなり楽しい。エマソンやオカルトにも触れ、時節柄、デモクラシーにも。案外、不折のヌード画の問題と関連があるのかもしれない。 https://t.co/1UbdEBlbmL
https://t.co/Ok7o4o5x0y 1910年(明治43年)頃の修身の教科要領にも「元気」が出てくるから、文学で大衆化というのもあるが、初等教育から国民化した言葉なのかもしれない。伊沢が教育に「元気」を入れた犯人かもだが、伊沢の元気はもちろん怪しい。

3 0 0 0 OA 村と学童

同じ、「村と学童」収録の「棒の歴史」。これも、え、棒の歴史っ?!とつっこみたくなるような、タイトルが楽しいが。小学生高学年向けだとおもうが、「歴史は単純ではない」と小学生に向けてるところの柳田らしさのほうが先祖の話よりは自分の好み。 https://t.co/0UNCTa2LJR

3 0 0 0 OA 村と学童

説話というか「話」についてのほうが、もしかしたら柳田のらしさは出てるのかもだし、空襲下に書かれたとされる「先祖の話」も概念としての家を考える上ではいいのだけど。同時期の柳田の「物」としての家について、何度も紹介しているが、「村と学童」収録の「三角は飛ぶ」https://t.co/8m5OoFgORI

1 0 0 0 OA 時代ト農政

こっそりと。センチメンタルな柳田研究をしていると、官僚時代のリアル柳田に面食らう人もいると思うが。1906年、日露戦勝あたりの講演録。「時代ト農政」にある「ドミシード即ち家を殺すこと」について。https://t.co/MVLwYtRfnm

7 0 0 0 OA 郷土の観察

昨日、高遠だるま市に合わせた古本市にこんな本が出てたので一応手に入れて目を通した。ここでも見れる。 https://t.co/EIwvmg42V7 今後の地理総合や歴史総合という教科がどうなるかという点からも興味ぶかい。 https://t.co/e6CrPAympI
RT @hashimoto_tokyo: Nスペ「古代史ミステリー 「御柱」 ~最後の“縄文王国”の謎~」を見て、御柱祭についてきちんと知りたくなった人は、怪しい本よりまず石川俊介さんの「諏訪大社御柱祭の文化人類学的研究」を読むことをお勧めします(PDF注意)。https://…

28 0 0 0 OA 石神問答

近代デジタルライブラリーで閲覧できるので、どんな風に書かれているか気になる人は、ちょっと眺めてもよいかもしれない。柳田は将軍塚にももちろん石神を読んでいる。 https://t.co/lenZyojPRc
RT @ogugeo: 1981年8月に茨城県で小貝川が破堤して生じた水害に関する論文。http://t.co/lehH4bsQEe 日本地理学会の機関誌に掲載。河川沿いの堤防が決壊した際に途中で水勢を弱めるための「内堤防」が江戸時代に築かれており、それを残していた場所では被害…

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