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新田孝行
新田孝行 (
@taknitta
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声のペルソナ : ジャン=クロード・ビエット『カルパチアの茸』について
東京都立大学人文科学研究所『人文学報(フランス文学)』に新たなビエット論を寄稿。一つ前の論文https://t.co/Q9dmiJaOMIの最後で仮説として述べた声の問題を、1988年の映画『カルパチアの茸』に関してより具体的に検討しました。以下のサイトからPDFでお読みいただけます。 https://t.co/he8R7mfjT0
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「ドラマ性」の記録―ジャン=クロード・ビエットの擬演技指導―
東京都立大学人文科学研究所『人文学報(フランス文学)』に新たなビエット論を寄稿。一つ前の論文https://t.co/Q9dmiJaOMIの最後で仮説として述べた声の問題を、1988年の映画『カルパチアの茸』に関してより具体的に検討しました。以下のサイトからPDFでお読みいただけます。 https://t.co/he8R7mfjT0
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読解と音楽 : ポール・ド・マンの「盲目性のレトリック」と「汚損されたシェリー」について
デリダの『メモワール』は以下のド・マン論を書くきっかけになった本。その冒頭で語られる「ポールにとっての音楽の重要性」を根拠に、読解の隠喩としての音楽から音楽(演奏)そのものとしての読解へ、とド・マンの思想の変化を考察した論文。この機会に拙稿も御一読頂ければ https://t.co/4sD2cGpTkB https://t.co/LxCWW55AYH
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「ドラマ性」の記録―ジャン=クロード・ビエットの擬演技指導―
『人文研紀要』(中央大学)にジャン=クロード・ビエット論を寄稿。ビエットの映画についてはすでに『物質の演劇』における音楽の問題、文学的参照をテーマにそれぞれ論文を書きましたが、今回は俳優についての彼の考えをまとめました。以下のサイトからお読みいただけます https://t.co/Q9dmiJagXa
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ポール・ヴェッキアリによるグレミヨン論
映画監督ポール・ヴェッキアリについては以下を御参照ください(とりあえず経歴の書かれたページhttps://t.co/W8eRdRhp1P)。 また、批評家・映画史家としてのヴェッキアリについては『映画研究』に論文を書きました。この機会に御一読いただければ幸いです(PDFが開きます)https://t.co/zle84MEYyk
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例の讃歌 : ジャン=クロード・ビエット『物質の演劇』における文学的参照
東京都立大学人文科学研究科の『人文学報(フランス文学)』最新号にジャン=クロード・ビエットの映画『物質の演劇』に関する新たな論文を寄稿。本作で参照される文学テクストを明らかにするとともに、引用の意味や方法、理念について考察しました。以下からお読み頂けます。 https://t.co/Iv0z7wYn7F
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「聞き間違い」の脱構築―ジャン=クロード・ビエット『物質の演劇』における音楽演奏のパラダイム―
『人文研紀要』第97号(中央大学人文科学研究所)に書いたジャン=クロード・ビエット監督の映画『物質の演劇』に関する論文が、中央大学学術リポジトリで閲覧可能になりました。お読みいただければ幸いです(以下補足情報)。 https://t.co/rFzlR2ydl7
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現代オペラ演出,あるいはニュー・ミュジコロジーの劇場:ローレンス・クレイマーの音楽解釈学再考
元々ドイツ語圏の劇場の役職であるドラマトゥルクは、フランスでは解釈重視の「頭でっかち」な演出を助長するものとして忌避されてきた。最近は、特にオペラに関しては変わったかも。一方アメリカでこれに近い仕事をしてきたのがニュー・ミュジコロジスト(以下の95頁参照)。 https://t.co/xhyYJzqSh5
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読解と音楽 : ポール・ド・マンの「盲目性のレトリック」と「汚損されたシェリー」について
本稿の読解は(最後に註で引用される)ポール・ド・マンをまねたもの。彼が取り上げた作家(ルソー、プルースト、ニーチェ)も、彼自身も(デリダが『メモワール』で語るように)音楽好き。そのことと彼の脱構築との関係については論文で書きました(以下のサイトで閲覧可能) https://t.co/4sD2cG7K6t
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「音楽のある音楽学」?--ローレンス・クレイマーと音楽学のレトリック
あらゆる音楽言説は修辞的ですが、上田敏『うづまき』と同時期(1910年前後)の日本の演奏会小説(鷗外、漱石、荷風)を比べると、前者は隠喩的、後者は換喩的。音楽言説を主題的な観点ではなく、修辞的な構造から読み解くアイディアは昔書きました(以下の論文、情報のみ)。 https://t.co/ax8TZaOd1m
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演奏会小説のアレゴリー : 上田敏『うづまき』について
東京都立大学『人文学報 フランス文学』に寄稿(ネット上で閲覧可能)。上田敏の小説『うづまき』をフランスの作家モーリス・バレスの『ベレ二スの園』からの引用と、演奏会の場面における音楽記述に焦点を当てつつ読解する試み。以下にツイートする様々なテーマに触れました https://t.co/K0XLhTaZB5
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秘められた声,受け継がれる人生―ジャン・グレミヨン『ある女の愛』における映画的活喩法―
『人文研紀要』第96号(中央大学人文科学研究所)に書いたグレミヨンに関する論文が、中央大学のリポジトリから閲覧可能になりました。最後の劇映画『ある女の愛』における監督自身による声の吹き替えを様々な角度から論じています。お読みいただければ幸いです。 https://t.co/S5VUs0CT9r
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ポストモダンのオルフェウス
ステファン・ヘアハイムのオペラ演出については『美学』という雑誌に4年前、論文を書きました。『オネーギン』にも触れています。以下のサイトからPDFで閲覧可能ですので、興味のある方は御一読ください。 https://t.co/kH7ejEowEI
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ポストモダンのオルフェウス
ヘアハイムのオペラ演出に関しては論文を書きました。『スペードの女王』には触れていませんが、作曲家の(虚実を含む)伝記としての性格、複数の役柄が同じ人物を演じる分身化、時制の混乱、フラッシュバックといった彼の演出の主要な特徴は本作でも確認できます。#ROHqueen https://t.co/0ycFaM0fEk
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現代オペラ演出,あるいはニュー・ミュジコロジーの劇場:ローレンス・クレイマーの音楽解釈学再考
一年前に出版された『音楽学』の論文がネット上で閲覧可能になりました。現代のオペラ演出がもつ舞台芸術としての独自性を考察するのが自分の一貫した立場ですが、本稿では、現代オペラ演出の重要な特徴の一つである学問性を論じました。https://t.co/xhyYJzqSh5
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