- 著者
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四方 由美
- 出版者
- 宮崎公立大学
- 雑誌
- 宮崎公立大学人文学部紀要 (ISSN:13403613)
- 巻号頁・発行日
- vol.10, no.1, pp.89-102, 2003-03-20
メディア表現について異議を唱える際,その根拠に中立性に基づく客観的基準が求められ,「不快かどうか」を批判の根拠とすることは主観的であるとされる。「ジェンダーとメディア」研究では,ジェンダー概念が客観的で中立性をを持つものとして「ジェンダー」という語を用いることで,メディア批判に正当性を持たせてきたが,それはマイノリティにとっての「表現の自由」を「促進」しないばかりか,客観性を重んじる近代主義的行為であり差別の解消を志向するという意味からは欺瞞であるともいえる。本稿は,日本における「ジェンダーとメディア」研究の展開を概観しながら,ジェンダー概念を用いてメディア批判をすることについて検討し,「ジェンダー中立」の意味をとらえ返し,表現の自由は誰のためのものなのか,「快/不快」でメディア表現を語ることについてポスト構造主義の視角からその可能性を示したものである。