著者
遠藤 匡俊
出版者
学術雑誌目次速報データベース由来
雑誌
地理学評論. Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.67, no.2, pp.79-100, 1994
被引用文献数
6

漁携・狩猟・採集生活をしていたアイヌが和人の影響を受けるようになった段階で,家の構成員が流動的に変化していた現象が確認されている.しかし,家の構成員が流動的に変化する原因とメカニズムは不明であった.天保5 (1834) ~明治4 (1871) 年の高島アイヌでは,多くの家が高島場所内にとどまっていたが,家単位の居住者を追跡した結果,個人の家間移動が激しく,家の構成員は流動的に変化していた.家間移動回数を比較すると,家構成員が流動的に変化していた高島・紋別場所では2回以上の移動者が多く,家構成員が固定的であった静内場所と樺太南西部ではほとんどが1回であった.すなわち,家構成員の流動性はおもに2回以上の移動者によって惹き起こされていた.高島アイヌで個人の家間移動が激しく生じたおもな原因は,高い死亡率と離婚である.とくに配偶者との死別・離別によって,親子・兄弟姉妹の居住する家へ移動したり,再婚のたあに他家へ移動するために2回以上の移動が生じ,家構成員は流動的に変化していた.家構成員の流動性は,必ずしも狩猟・採集という生業形態や遊動性とはかかわりなく生じていた.

言及状況

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こんな論文どうですか? 人口減少期の高島アイヌにおける家構成員の流動性のメカニズム--天保5(1834)〜明治4(1871)年,1994 http://t.co/XPruQlpn

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