著者
米地 文夫
出版者
学術雑誌目次速報データベース由来
雑誌
季刊地理学 = Quarterly journal of geography (ISSN:09167889)
巻号頁・発行日
vol.47, no.4, pp.267-284, 1995-12-01
参考文献数
40

明確な地名としての「東北」の初出を, 岩本 (1989など) は慶応4年7月の木戸孝允の建議書をその初現であるとし, 難波 (1993) は同年閏4月から太政官日記にみられるとしたが, 筆者は同年正月の久保田 (秋田) 藩主への内勅や, 2月の仙台藩主からの建白書に, 「東北」の語があることを見いだした。<br>岩本は「東北」を「東夷北秋」を約めたもので, 勝者が敗者に押し付けた地名とした。しかし「東夷北秋」の略は「夷秋」で, 当時は欧米を意味していた。また朝廷側が味方の秋田藩を「東北の雄鎮」と呼んだり, 奥羽側でも自らをも含めて「東北列藩」と呼んだりしており,「東北」に蔑視的な意味は無かった。この「東北」は, 東海, 東山, 北陸の三道全体, すなわち東日本の意味で, 現東北6~7県地域を指すものではなかった。明治初年のこの広義の「東北」は当時の歴史教科書にはみられるが, 地理教科書にはほとんど登場しなかった。

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「東北: 東夷北秋の略」説への疑問を書いた論文もあった。 https://t.co/5kNOuYBIKA

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