著者
小田 亮
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.62, no.2, pp.184-204, 1997-09-30

本論文は, 文化相対主義を「理論」としてではなく状況や発話の位置に左右される「戦略」として再構築することを目的とする。自文化中心主義に反対する真の文化相対主義は, 浜本満(1996)が明らかにしているように, 自文化中心主義的な文化相対主義および自文化中心主義的普遍主義と対立するものであり, むしろ真の普遍主義に類似している。理論として再構築された文化相対主義は, 自文化と異文化双方の否定を介して第三の共通の基盤を開く弁証法的運動として捉えられよう。しかし, 普遍主義と共有する, そのような弁証法的運動は, 西欧近代に特有のものであり, 西欧のヘゲモニーの下では, 西欧近代だけがその第三の地平を専有する西洋中心主義に陥る。戦略としての文化相対主義は, 第三の地平を普遍的な真理としたり, 自文化や他文化より一般的な概念枠組としたりする普遍主義や理論としての文化相対主義とは異なる。さらに, それは, グローバル化による異種混淆性の賛美や, 文化の構築における操作性や主体性を評価する議論に共通する「記憶の抹消」にも反対する。戦略としての文化相対主義は, 文化の違いを一般性に規定された特殊性としてではなく, 文化の純粋性に先行する雑種性による文化的差異を単独性として語るものでなくてはならない。その一つのモデルは, 「戦略的本質主義」であるが, 戦略と結び付いた発話の位置が, 近代の知と支配のシステムが依拠する「種的同一性」によって規定されるものと捉えるならば, それは植民地主義/帝国主義の言説と変わらなくなってしまう。種的同一性には捉えきれない普通のひとびとの実践と, 雑種性や文化的差異を排除せず記憶が生きている「生活の場」における文化の真正性に留意することこそが, 近代の知と支配の体系への無意識でしたたかな抵抗を可能にし, 「相対主義のニヒリズム」やグローバル化による異種混淆性の無批判な賛美に陥らないことを可能にするのである。

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