著者
中村 敏健 平石 界 小田 亮 齋藤 慈子 坂口 菊恵 五百部 裕 清成 透子 武田 美亜 長谷川 寿一
出版者
日本パーソナリティ心理学会
雑誌
パーソナリティ研究 (ISSN:13488406)
巻号頁・発行日
vol.20, no.3, pp.233-235, 2012-03-30 (Released:2012-05-22)
参考文献数
14
被引用文献数
4 1

This study developed a Japanese version of the Machiavellianism scale (Mach IV) and examined its reliability and validity. A questionnaire survey of university, junior college and vocational school students showed sufficient internal consistency and test-retest reliability for the scale. Its correlational validity was demonstrated in terms of the relationships with psychopathic tendencies, prosocial behavior, and Agreeableness (a dimension of the Five-Factor personality model). These results indicated that the Japanese version of the Machiavellian scale IV is useful to measure Machiavellian tendencies.
著者
福川 康之 小田 亮 平石 界
出版者
早稲田大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2015-04-01

本研究の目的は,行動免疫と呼ばれるヒトの感情的システムの心理的・生物的基盤について,明らかにすることであった.一連の調査や実験から得られた知見は,食行動や配偶者選択といった基本的な人間行動の解明に際して,少なくとも部分的には行動免疫に配慮する必要のあることを示唆するものであった.また,国際比較や双子研究から得られた知見は,個人の行動免疫特性が,遺伝と環境の双方からそれぞれ影響を受けて形成される適応的な心理的傾向であることを示すものであった.
著者
小田 亮
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要
巻号頁・発行日
vol.22, pp.131-140, 2000-10-31

日本人における配偶相手の好みにみられる性差を、結婚相手募集広告の分析から研究した。一九九七年一〇月から二〇〇〇年一月までに個人広告雑誌に掲載された七八〇件(男性によるもの五七七件、女性によるもの二〇三件)の広告を分析対象とした。要求または提示されている特徴を比較すると、男性では要求された特徴と提示された特徴の数に違いはないが、女性は提示数よりも要求数の方が多かった。また女性は男性よりも要求数が多く、提示数は少なかった。男性は自らの経済的状況あるいは社会的地位を提示する傾向があり、女性はそれを要求する傾向があった。家庭への投資に関しては提示には偏りがなかったが、女性の方がより要求する傾向があった。身体的な特徴については要求、提示のどちらにも性による偏りがみられなかったが、相手に写真を要求するのは女性の方が多かった。連れ子の拒否については偏りがなかった。一方男性の方が女性よりも連れ子を受け入れる態度を示す傾向があった。男性は年下の女性を相手として好んだが、女性については充分なデータが得られなかった。これらの結果を先行研究ならびに質問紙を使った調査の結果と比較検討した。
著者
福川 康之 小田 亮 宇佐美 尋子 川人 潤子
出版者
公益社団法人 日本心理学会
雑誌
心理学研究 (ISSN:00215236)
巻号頁・発行日
pp.85.13206, (Released:2014-06-01)
参考文献数
46
被引用文献数
9 31

This study developed a Japanese version of the Perceived Vulnerability to Disease (PVD) scale. Analysis of the data from Japanese university students (N = 435) replicated the two–factor structure of the original scale: one factor that assessed beliefs about one’s own susceptibility to infectious diseases (perceived infectability) and the other factor that assessed emotional discomfort in contexts that connoted an especially high potential for pathogen transmission (germ aversion). Tests of reliability and validity for each subscale indicated overall promising results. It would appear that the results reflect at least in part an evolutionary adaptive psychological mechanism for the ancestral environment.
著者
小田 亮
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.131-140, 2000-10

日本人における配偶相手の好みにみられる性差を、結婚相手募集広告の分析から研究した。一九九七年一〇月から二〇〇〇年一月までに個人広告雑誌に掲載された七八〇件(男性によるもの五七七件、女性によるもの二〇三件)の広告を分析対象とした。要求または提示されている特徴を比較すると、男性では要求された特徴と提示された特徴の数に違いはないが、女性は提示数よりも要求数の方が多かった。また女性は男性よりも要求数が多く、提示数は少なかった。男性は自らの経済的状況あるいは社会的地位を提示する傾向があり、女性はそれを要求する傾向があった。家庭への投資に関しては提示には偏りがなかったが、女性の方がより要求する傾向があった。身体的な特徴については要求、提示のどちらにも性による偏りがみられなかったが、相手に写真を要求するのは女性の方が多かった。連れ子の拒否については偏りがなかった。一方男性の方が女性よりも連れ子を受け入れる態度を示す傾向があった。男性は年下の女性を相手として好んだが、女性については充分なデータが得られなかった。これらの結果を先行研究ならびに質問紙を使った調査の結果と比較検討した。
著者
小田 亮
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:24240508)
巻号頁・発行日
vol.62, no.2, pp.184-204, 1997-09-30 (Released:2018-03-27)

本論文は, 文化相対主義を「理論」としてではなく状況や発話の位置に左右される「戦略」として再構築することを目的とする。自文化中心主義に反対する真の文化相対主義は, 浜本満(1996)が明らかにしているように, 自文化中心主義的な文化相対主義および自文化中心主義的普遍主義と対立するものであり, むしろ真の普遍主義に類似している。理論として再構築された文化相対主義は, 自文化と異文化双方の否定を介して第三の共通の基盤を開く弁証法的運動として捉えられよう。しかし, 普遍主義と共有する, そのような弁証法的運動は, 西欧近代に特有のものであり, 西欧のヘゲモニーの下では, 西欧近代だけがその第三の地平を専有する西洋中心主義に陥る。戦略としての文化相対主義は, 第三の地平を普遍的な真理としたり, 自文化や他文化より一般的な概念枠組としたりする普遍主義や理論としての文化相対主義とは異なる。さらに, それは, グローバル化による異種混淆性の賛美や, 文化の構築における操作性や主体性を評価する議論に共通する「記憶の抹消」にも反対する。戦略としての文化相対主義は, 文化の違いを一般性に規定された特殊性としてではなく, 文化の純粋性に先行する雑種性による文化的差異を単独性として語るものでなくてはならない。その一つのモデルは, 「戦略的本質主義」であるが, 戦略と結び付いた発話の位置が, 近代の知と支配のシステムが依拠する「種的同一性」によって規定されるものと捉えるならば, それは植民地主義/帝国主義の言説と変わらなくなってしまう。種的同一性には捉えきれない普通のひとびとの実践と, 雑種性や文化的差異を排除せず記憶が生きている「生活の場」における文化の真正性に留意することこそが, 近代の知と支配の体系への無意識でしたたかな抵抗を可能にし, 「相対主義のニヒリズム」やグローバル化による異種混淆性の無批判な賛美に陥らないことを可能にするのである。
著者
小田 亮
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.74, no.2, pp.272-292, 2009-09-30
被引用文献数
1

本論文で提示する「二重社会」という視点は、レヴィ=ストロースの「真正性の基準」の議論の帰結、つまり「近代以降、ひとは、真正な社会と非真正な社会という、異なるあり方をした二つの社会を二重に生きている」というものである。本論文では、この「二重社会」という視点が、ネオリベラリズムやグローバリズムに対応する日常的な実践と、そうした実践を可能とする社会的連帯の基盤となる煩わしさと反復による社会関係の評価を可能とすることを示す。すべてを交換可能なものとして一般化するグローバリズムやネオリベラリズムに対抗するために、比較可能で置換可能な差異としての特殊性に依拠することとそれへの批判は「一般性-特殊性」の軸にそってなされる。また、それを批判するネグリ/ハートの議論も同じ対立軸上でなされている。ここで見落とされてきたのは、ドゥルーズが一般性と対比させる「単独性」と「反復」であり、それは「一般性-特殊性」の軸とは異なる「普遍性-単独性」の軸に位置する。これらの軸はレヴィ=ストロースの真正性の水準の議論における「非真正な社会」と「真正な社会」にそれぞれ対応する。「真正な社会」と「非真正な社会」とでは、同じ貨幣や行政機構などの媒体が、質的に異なったものとなる。それらの一般化された媒体は、真正な社会において、一般性を剥奪される。この一般化された媒体を変換する実践は、人類学では、J・パリーとM・ブロックらによる「貨幣を飼い慣らす」実践として議論されてきたが、それらも、「一般性-特殊性」の軸にそった議論にとどまっている。「二重社会」の視点から見直すことで、こうした実践が「普遍性-単独性」の軸にそって非真正な社会との境界を維持するものであるという点が明らかとなる。このように「二重社会」という視点は、ネオリベラリズムやグローバリズムに対応する多様な実践の意味解釈を可能とする。
著者
関根 康正 野村 雅一 松本 博之 小田 亮 松田 素二 小馬 徹 野村 雅一 小田 亮 松田 素二 小馬 徹 KLEINSCHMIDT Harald 松本 博之 棚橋 訓 鈴木 裕之 GILL Thomas P. 加藤 政洋 島村 一平 玉置 育子 近森 高明
出版者
日本女子大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2006

ストリートの人類学は、流動性を加速させるネオリベラリズムとトランスナショナリズムが進行する再帰的近代化の現代社会に資する人類学の対象と方法を探求したものである。現代の「管理社会」下ではホーム・イデオロギーを逸脱したストリート現象の場所は二重の隠蔽の下にあるので、画定しにくいがゆえにまずは正確な対象画定が重要になる。系譜学的にそれを掘り起こしたうえで、そのストリート現象についてシステム全体を勘案した体系的なエスノグラフィを書くことを試みた。この<周辺>を<境界>に読み替えるというネオリベラリズムを適切に脱却する人類学的な新地平を開拓した。
著者
小田 亮
出版者
心理学評論刊行会
雑誌
心理学評論 (ISSN:03861058)
巻号頁・発行日
vol.63, no.3, pp.308-323, 2020 (Released:2022-02-05)
参考文献数
84
被引用文献数
1

Traditional psychology has primarily focused on the mechanism and development of human altruism. However, the functional significance and evolutionary origin of altruism are also important. The condition for altruism to evolve by natural selection is “positive assortment.” To guarantee positive assortment, variance within a group must be small, whereas variance between groups must be large, which results in “parochial altruism.” Some features of reasoning and memory in humans are believed to have been adapted to parochial altruism. However, humans sometimes show “generalized altruism” beyond each group they belong to. Clarifying the relationship between the function of the mind as a legacy of evolution and the structure of human social groups is important to understand altruism.
著者
小田 亮
出版者
日本パーソナリティ心理学会
雑誌
パーソナリティ研究 (ISSN:13488406)
巻号頁・発行日
vol.31, no.2, pp.100-101, 2022-09-22 (Released:2022-09-22)
参考文献数
4
被引用文献数
1

Toyama and Sakurai (2001) reported self-enhancement in the context of agreeableness and conscientiousness among Japanese students, while they observed self-effacement in the context of extraversion and openness. However, their study did not include standardized scales or report the age of the participants. In the present study, self-enhancement and self-effacement in the Big Five personality traits were investigated among a wider age range of participants to conceptually replicate the previous study. In addition to extraversion and openness, self-effacement was newly observed in neuroticism. In contrast to the previous study, there was no self-enhancement in agreeableness and conscientiousness. There were no significant changes in self-enhancement or self-effacement by age group. These results raised doubts about the robustness of the findings of Toyama and Sakurai (2001).
著者
小田 亮 Makoto Oda 桃山学院大学文学部
雑誌
桃山学院大学人間科学 = HUMAN SCIENCES REVIEW, St. Andrew's University (ISSN:09170227)
巻号頁・発行日
no.2, pp.1-20, 1991-03-01

This essay has two aims; one is to show the perspective Levi-Strauss's structural analysis of myths has offered, and the other is to point a resemblance between myths and novels in the way of being against the narrative. For the former, I do a demonstration of a structural analysis on three African myths, and point out in the analysis that no myth is isolated from others and that there is no single or privileged code which excludes other codes in the formation or interpretation of myths. On the other hand, the novel is an unorthodox genre and a newcomer in the European literature. While the epic which is the counterpart of the narrative in the Latin-European literary orthodoxy has canons or privileged codes, the novel doesn't. Unlike the narrative or epic, and like myths viewed from the stand-point of structurism, novels have no self-conclusion in their nature of intertextuality and always put several codes in play against the autocracy of any single code the narrative demands.