- 著者
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北川 勝彦
- 出版者
- 関西大学
- 雑誌
- 關西大學經済論集 (ISSN:04497554)
- 巻号頁・発行日
- vol.54, no.1, pp.123-142, 2004-06-15
本研究ノートでは、1930年代中頃において、日本商品のアフリカ市場への進出を可能にした国際的枠組、すなわち「コンゴ盆地条約」とその改廃をめぐる動向について考察した。中央アフリカにおいて通商の自由と外国人に対する均等待遇の原則が定められたのは、1885年のベルリン会議の一般議定書においてであった。本議定書は、1890年のプリュツセル会議の一般議定書および宣言書により追補され、1919年、サンジェルマン・アン・レーにおいて締結された条約により更に修正されたが、通商上の均等待遇の原則に関しては変更されなかった。こうした背景の下で、日本品市場としてのベルギー領コンゴの可能性が調査されている。『白耳義領コンゴー経済事情』では、タンガニーカのダルエスサラームを拠点とする通商戦略が提案された。というのは、日本品の販路としてコンゴ市場を確保するには、インド洋岸の東アフリカを切り離しては困難であると判断されたからである。ベルギー領コンゴでは、アフリカ人向け商品の大部分は綿布で、全体として見れば、日本品の競争振りには驚嘆すべきものがあったが、しかし捺染綿布キテンゲを主とするイギリスの地位は牢固たるものがあった。コンゴ盆地条約は、実施日から10年を過ぎると改訂が可能であり、イギリスより1935年7月には条約改訂会議を開催したい旨の提案がなされた。日本政府は、他の署名国に反対がない限りなんら異議がないとの回答を行なったが、コンゴ盆地条約は、植民地通商に関する理想的基準をなすものであり、平和を希望する関係各国政府の努力によって存続させねばならないとの立場に立った。