著者
山内 友三郎
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. I, 人文科学 (ISSN:03893448)
巻号頁・発行日
vol.26, no.3, pp.133-144, 1978-03

本稿は『饗宴』におけるソクラテスのエロース論をとりあげて、倫理学的な解釈を試みたものである。そのさいとくにエロースの究極の段階における,美ソノモノを見て真の徳を生む、といわれている箇所(212a)を解明しようとした。またそのさいソクラテスがディオティマから聞いたとされているエロース論はソクラテスープラトンのものであることを前提とした。プラトンによれば感覚界において価値のある美しいものや秩序あるものは、すべて、永遠の存在であるイデアにあづかることによって、美しくもなり秩序あるものにもなるのであり、またそのことによって存在性をおびるのであって、美しくもなく秩序もないようなものは非有と考えられる。美しく秩序あるものであることは、その分だけ存在の刻印をおびることを意味している。神の創造作用によって、範型(パラデイグマ)に似せられて作られたためにこの宇宙(コスモス=秩序)は美しく秩序あるものになるのであって(『ティマイオス』28以下)感覚界はその意味では永遠の存在と無のあいだを揺れ動く映像のようなものである。したがって、この世界は秩序があることによって、イデア界と連続性をたもち、そのことによって全体が保たれているのである。「天も地も人間たちも神々も結合関連させているのは、交わりと友愛と秩序と慎慮と正義であって、このためにこの全体はコスモスと呼ばれる」(『ゴルギアス』508a)。さてエロースはまず何よりも美しいもの秩序あるものへの愛である。そして美と秩序とはイデア界・感覚界にわたってはりめぐらされているのであって、これに対応して、エロースはイデア界と感覚界とを仲介し結びつけているのである。天地はエロースがなければ瓦解する。エロースは偉大なるダイモーンであり、「神々と人間の中間にあって、両者のあいだを仲介し、間隙をみたしていることによって、全体は自己と結合している」(『饗宴』202e)。さらにまた美しいものは感覚界にあって特別の位置をしめていて、イデアを映す影のようなもののうちで、もっともよく見られるものである。『パイドロス』(250d)の神話によれば、人はこの世の美を見て、真の美を想起する、と言われているが、正義や慎慮やその他価値あるものについての、この世におけるいわばイデアの影像を見ても、とくべつの光を発するものではないが、美だけはこの世における影像が光り輝いていて明晰に視覚にうつるのである。このために美は感覚界のうちにあって、イデア界への通路の役割をはたすことになる。『饗宴』におけるエロース論は『国家』における善のイデアをめざす教育課程と本質的に同一の目的をもち、それを,美を媒介にして端的に示したものと考えられる。美しいものは美によって美しい(『パイドン』100d)のであって、美しいものはもっともイデア(形相)に似ていると考えられる。エロースは単なる欲求ではなく美への欲求であることによって、直接にしろ間接にしろ、イデア界への憧憬ともなりうるのである。したがって、エロースは、美を媒介にして、イデア界へと上昇しようとすることによって、真の知をえようとする愛知者でもあるのである。というのは、プラトンによれば、イデアのみが真の意味での有であって、これを対象として知識が成立するのである。感覚界にあるものは、有と非有の中間であって、それを対象としては知識はありえず、ただ思惑(ドクサ)があるだけである(『国家』478d)。エロースは知と無知の中間にあって、美を手がかりにして、真の知を求めているのである。知が見える形をとるとすれば恐るべきエロースをひきおこしたであろう(『パイドロス』250d)といわれるが、美しいものは、イデア界への通路として、知が見える形をとったものの相似物のようなものと考えられる。In this essay I have tried to interpret ethically the last stage of the ascent passage of eros in Diotima-Socrates speech of 'Symposion'. In the ascent passage of eros, if guided aright, the lover will begin to love beautiful bodies and then beautiful souls and be forced to contemplate the beauty in human conduct, laws and knowledges and finally absolute beauty itself. This beauty itself is thought to be the source of order in the intelligible world as well as in the sensible world. The love of the source of order, when directed into the soul of the lover himself, becomes the reason which orders eros for beautiful things in the sensible world. Therefore to strengthen the eros of beauty means to strengthen the eros of order in the soul. This is a real meaning of bringing forth true virtue by means of seeing beauty itself.

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