著者
楠原 偕子
出版者
日本橋学館大学
雑誌
紀要 (ISSN:13480154)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.17-31, 2002-03-30

スポーツマンや俳優、舞踊家、ミュージッシャンなどは、からだをメディアとして使用することを専門とする人びとである。彼らが、からだを鍛えるということは、個々の人間の持つ身体機能を専門に応じて十全に働くように調整し、それを巧みに操作できる力を涵養することが目的だ。そして、そのための鍛え方がある。ところで、一般にだれであれ人間という存在は、個々の持つ身体各部の機能が感情や知能とも解け合って、有機的に働いている状態の全体を指す。それこそがこの世に生きるということである。このような一般の人が、からだを鍛えると言うときは、それぞれの身体条件を全体の中で調和させながら十分に機能するように訓練することであろう。それぞれの身体条件ということは、個々の人間が持つ身体の物理的・有機的特徴を指し、全体というのは、一つにはその個の存在全体を指すと同時に、個の存在している周辺の環境との関係をも取り込んだ全体も含んでいる。人間は、所詮、社会(孤島などに一人きりで置かれた場合も含めての社会)的な存在として生きているからである。いずれにしろ、存在としての人間を調和のとれた有機体として保持することが目標であれば、ここで鍛えるということも、特殊な人間の問題でも特殊な場合に備えることでもなんでもない。たしかに「鍛える」ということばには、程度の差はあれ、かなり継続的な訓練や修練の意味が含まれている。しかし訓練という行為の基本には身体機能を通して身体を認識するという前提があるとすると、いわば「鍛える」前提段階は、ごく普通の人間にとってのごく当たり前の心構えを持つことであり、それは日常行為に直結したことなのである。本論は、わたし、あなた自身のからだをテクストとして、われわれの日常における身体への認識を持つための道をつける一つの覚え書きである。難しい理論などへはなるべく踏み込まないで、普通の人間の抱く日常感覚としての身体について的を絞っていきたい。ただ、これには当然、現代人としての視野が入ってくるであろうし、同時に、国際的視野に立ちながらも日本人であることを見据えて考えていきたい。それにしても、身体は存在そのものの基本であるので、古来人間はさまざまの面から「身体」というものをどのように認識したらよいか論じてきた。現在はとくに、西欧的に近代化されて以来、精神と肉体(心的なものと生理的・物理的なもの)の二元論で把握し人間に対して精神・思考機能を偏重してきた視点への反省があって、両者を切り離し得ない存在の総体としての身体性について多くの人がさまざまな角度から論じなおしており、おびただしい書物や論文が出まわっている。哲学の視点、心理学の視点、人類学、民族学の視点、広い意味での社会学・メディア論の扱う視点、そして芸術論においては言うまでもない。もちろん人文系ばかりでない。当然ながら治療、医学において、また技術などの分野でも異なる観点から身体論に迫る。それに加えて、インターカルチュラリズムの動向にともなうグローバリゼイションの動きが加速されている今日においても、西洋における身体観、東洋におけるそれなど、生活、制度、思想を総合する文化伝統のあり方によって、依然として微妙に異なる身体観が存在しているのである。

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