著者
森 忠文
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.41, no.3, pp.14-23, 1978-02-15
被引用文献数
3

京都御所周辺は, 明治維新のころまでは多くの公家の住む屋敷町であったが, 明治2年の東京遷都ののちは, 公家は東京に移りあるいは他に転出して, 一部の建物は取りこわされて空地となり, やがて土地建物の所有も一般民間人の手に移っていった. 一方その邸宅跡には学校や裁判所が設けられ, 御所で博覧会が開かれるなど御所周辺は変貌した.<BR>明治10年 (1877) 2月, その対策として, 明治天皇の御沙汰書が出され, 大内保存事業が始まった. これは, 御所をながく保存するための前提として, 周辺の民有地を買収するとともに建物を撤去し, 御所への火災延焼のおそれをなくしようとするものであって, そのために明治10年から21年まで毎年4000円を支出すること, またその事業を京都府に委任するというものであった.<BR>京都府は大内保存掛を置いて鋭意事業を推進し, 幾多の曲折を経て, 明治13年 (1880) に当初予定された構想にさらに追加工事を加えたもののほとんどすべてを実現した. このようにして初期の御苑は成立したのである. すなわち, 民有地を買収し, 建物を撤去し, 周囲に石積土塁を設けて境界とし, 奥まったところにあった門を土塁の線に移設し, 道路を設け, 御所周囲, 主要道路, 石積土塁上等の植樹その他雑工事を行なったのである. 予定では21年までとなっていたが, 保存費の繰上げ交付によって促進され, 期間は短縮された. またそれに要した経費は少くも45000円であった.<BR>御所そのものの維持管理は, この事業とは別に宮内省において京都府が協力して行なわれていたので, 大内保存事業はもっぱら間接に御所を保存するために行なわれたものである. これを今日的に言えば, 御所を文化財としてながく守るための環境整傭事業であった.<BR>この事業の着想が正しかったということは, その後, 100年の御苑の歴史が実証している. この大内保存事業すなわち御苑造成事業は, 明治初期において, 御所を文化財として保存するために行なわれ, しかも成功した大規模な造園事業として評価されるべきものと考える.

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