著者
柳橋 博之
出版者
日本中東学会
雑誌
日本中東学会年報 (ISSN:09137858)
巻号頁・発行日
no.8, pp.189-210, 1993-03-31

モロッコの国家秩序の中におけるイスラム法の位置は,保護統治以前(1912年まで),保護統治期(1912-1956年),独立後(1956年以降)にこれを分けて考察することができる。先ず保護統治以前には,他のイスラム諸地域と同じく,狭義のイスラム法,すなわちモロッコの場合にはマーリク派法学とカーディーの裁判権は,シャリーアの解釈権や裁判権を主張するマフザン(中央政府)との対立の中で,次第に狭められ,僅かに身分法と一部の不動産訴訟においてその適用や裁判管轄が残ったに過ぎなかった。その他の分野では,パシャやカーイドといったマフザン(中央政府)の行政官が,しばしば恣意的とされる裁判を行っており,またマフザンの権威の及ばない地域も広く,そこでは慣習法が行われていた。フランスによる保護統治下では,マフザンとマーリク派法学ないしはカーディーの間の対立が緩和された。それはマフザンがフランス政府による過度の改革を嫌い,そのような改革を避けるために,改革がイスラムないしはシャリーアという,宗教に関する事項に干渉することになるという口実を設けたためであり,このために身分法や不動産訴訟などの管轄権が明文によりカーディーに留保された他,カーディー法延の改革は進まず,また少数ながら契約・債権法にはマーリク派の学説が導入された。独立後は,政府は,近代国家の概念に基づいて,マーリク派法学とカーディー法廷を国家体制の中に組み込む政策を採った。それは具体的には,司法組織の改革によって裁判組織が一本化されたことや,従来マーリク派の法学者が独占していた身分法規定の法典編纂などの形で現れている。

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