- 著者
-
太田 敬子
- 出版者
- 日本中東学会
- 雑誌
- 日本中東学会年報 (ISSN:09137858)
- 巻号頁・発行日
- vol.19, no.2, pp.87-116, 2003
本稿の目的は、アッバース朝カリフ・マームーンの治世末期に起こった下エジプトのバシュムール地方の反乱に焦点を当てて、アッバース朝支配下のエジプトにおけるキリスト教徒社会の情況を検討し、エジプトにおけるイスラーム化の進行とキリスト教社会の衰退の歴史的展開について一考察を行うことにある。エジプトのキリスト教徒(コプト)社会に対するムスリム政権の統制が本格的に強化され始めたのはウマイヤ朝後半のことと考えられる。その後アッバース朝時代にかけて、政府の徴税強化と徴税官の圧迫に抵抗するコプト反乱が繰り返し記録に現れるようになる。その最後で最大の武力蜂起といわれるのがバシュムール反乱である。第1章では、バシュムール反乱に至る抗租運動の軌跡を辿り、ムスリム支配の強化に伴う抗租運動におけるコプトとアラブ・ムスリムの関係を分析した。第2章ではバシュムール反乱の原因とその経緯、反乱後の状況を史料に基づいて再現し、第3章においてこの時代のコプト社会の状況に関して、コプト社会内部の情況に注目して考察を行った。結論として、この時代に表面化してくるコプト教会と一般信徒との間の軋轢や利害の不一致が、コプト社会の変化と衰退を考察するに際して非常に重要な要因となっていることを検証した。コプト社会の内部変化という観点から、バシュムール反乱はエジプトのイスラーム化において1つの重要な転機であったいうことができると考えられる。