- 著者
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崔 銀姫
- 出版者
- 北海道東海大学
- 雑誌
- 北海道東海大学紀要. 人文社会科学系 (ISSN:09162089)
- 巻号頁・発行日
- vol.18, pp.65-80, 2006-03-25
かつてM・フーコーは歴史の目的性と連続性の背景に潜めている同一性を批判した。フーコーはそういう糸を断とうと、相異なる閾の時間のなかへの新たな配分、それらの継起、ずれ、偶然的な一致、それらが互いに支配し、あるいは含みあう仕方、それらが次々にうち立てられる諸条件などの差異に注目し、歴史の横顔を描く重要性を力説した。ならば、放送史のなかで、ドキュメンタリーなるジャンルが構築される過程を、単線的な流れとしてではなくさまざまな「閾」、重なり合いやずれの連なりとして再編制することは有意味であるだろう。ドキュメンタリー映画(記録映画)がテレビ・ドキュメンタリーを生み出したという一般的な史実の裏には、ラジオというもう一つの重要なメディアの役割があった。本稿は、初のテレビ・ドキュメンタリー『日本の素顔』の誕生を起点に「ラジオ」における「ドキュメンタリー」の軌跡を辿って、そのラジオ・ドキュメンタリーが「社会番組」と成り立ち、日本における放送の新しい領域を生み出す結果に結びついていたという仮説の検証である。