- 著者
-
遠藤 隆
- 出版者
- 北海道東海大学
- 雑誌
- 北海道東海大学紀要. 人文社会科学系 (ISSN:09162089)
- 巻号頁・発行日
- vol.8, pp.125-135, 1995
日米関係を論ずる際に,それぞれの分野の現状を分析するものであるが,併せて,念頭に置かねばならないことに,「日本の対米観」,或いは,「米国の対日観」というものがある。これは時代によって変わるかにみえるものであるが,戦後50周年を迎えた1995年は,歴史認識という点で,両国はやや感情的になる傾向を見せたように思われる。この傾向は,前年の12月7日,日本軍による真珠湾攻撃の犠牲者を悼む半旗がホワイトハウスの屋上に掲げられた頃からはじまる。つまり,戦争の発端となった日本の戦争責任を問うようなムードが高まった観がある。そして,発行を中止したものの,「原爆切手」の日米間の論争があった。「原爆投下が太平洋戦争の終結を早めた」という説明のついた「原爆キノコ雲切手」ということで,被爆国としての日本政府は米国務省に発行の再検討を申し入れた。続いて,ワシントンのスミソニアン航空宇宙博物館は原爆投下50周年にあわせて特別展の開催を計画した。しかし,在郷軍人会などがその内容に反対し,当初予定していた史実の描写及び説明内容が大幅に縮小・削除・変更された。このように,日米関係の歴史を回顧する気運が高まりつつある時に,このB29「エノラ・ゲイ」展示がきっかけで民間戦史研究家らの論文や図書がひときわ米国市民の注目を集めることになった。そして,この展示内容は修正に修正を重ねられたもので,確かに,広島,長崎の被害状況を詳しく一般市民に見せるよい機会でありながら,それがなかったことは,物足りなさを感じざるを得なかった。しかし,そのことがむしろ歴史学者の研究を深め,米国の原爆投下の是非論にまで発展し,マスコミを賑わすことにもなったのである。そこで,本稿では,この「エノラ・ゲイ」展示の経緯と原爆投下の決定に係わる当時の議論について,現地調査(ワシントン在住の歴史学者とのインタビューを含め)から得た情報に基づいて,考察するものである。