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OA
戦国都市府内の成立過程 : 豊後「府中」・「府内」関連用語にみる大友氏在府論
著者
上野 淳也
出版者
別府大学
雑誌
史学論叢
(
ISSN:03868923
)
巻号頁・発行日
vol.36, pp.A26-A49, 2006-03
挿図あり
言及状況
変動(ピーク前後)
変動(月別)
分布
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また、小笠原元宗の子息と思われる刑部少輔(八郎)光清は、永正12年12月23日付の大友義長条々に「大内高広、小笠原光清、不慮ニ在国候、外聞実儀候之間、別而可為丁寧之事」とあり、大内高広(義興の兄弟)と共に大友氏の客将となっていたようです。こちらの論文を参照。 https://t.co/JVgjsqYkyW
@hat1chake2 https://t.co/IiLLejzGq9 一つの解になりそうな論文を見つけました これによれば、大友義統のころには府内という呼称が増えているようです
常陸大掾氏は古文書中、対外的に「常府」「府内」「府中」と呼称される 。そういう観点からの考察もありか。目からうろこ。 #常陸大掾氏 #茨城県の中世 https://t.co/YwQYdNlCsg
収集済み URL リスト
https://ci.nii.ac.jp/naid/110005857229
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