- 著者
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上宮 健吉
- 出版者
- 国立科学博物館
- 雑誌
- 国立科学博物館専報 (ISSN:00824755)
- 巻号頁・発行日
- vol.43, pp.341-348, 2006
皇居,赤坂御用地,常盤松御用邸で篠永哲(2003-2004年)と上宮(2005年)により採集されたキモグリバエ科昆虫を分類学的に調査した.東京都下で記録されたキモグリバエ科昆虫はKanmiya(2005a)の報告により,それまで知られていた19種に8種が追加されて27種に達していた.しかし,この間に東京浅川からOscinella pusilla Mg.が記録された(Kanmiya, 2004)ので,合計28種が東京から記録されていたことになる.今回は上記3地域から20種のキモグリバエ科昆虫を採集した.その中には,東京からはじめて記録された種が7種,はじめて記録された属が2属含まれる.その結果,東京都下のキモグリバエ科は18属35種になった.これは関東圏で比較的よく調査されている埼玉県のキモグリバエ科(玉木,2000)の32種を超える種数である.今回,新しく東京都下から記録された属はConioscinella DudaとLipara Meigenで,新しく記録された種はLipara japonica Kanmiya, L. orientalis Nartshuk, Siphunculina nitidissima Kanmiya, Comoscinella divitis Nartshuk, C. frontella (Fallen), C. gallarum Duda, Thaumatomyia rufa (Macquart)である.この調査を含めて皇居,赤坂御用地,常盤松御用邸で記録されたキモグリバエ科は25種に達し,そのうちの20種がOscinellinae亜科,5種がChloropinae亜科に属する.Kanmiya (2005a)が述べたように,赤坂御用地ではOscinellinae亜科の方がChloropinae亜科よりも種数が多いのは,広葉樹林の林床が関係すると考えられる.Oscinellinae/Chloropinaeの種数の比を再び取り上げると,日本全種(Kanmiya, 1983)では1.31 (85/65種)であるが,東京都全体では2.5 (25/10種)となる.ところが,赤坂御用地(Kanmiya, 2005a)の場合は4.3 (13/3種),これに常盤松御用邸と皇居を含めた場合は4.0 (20/5種)となる.この数値は,種数が最も多い赤坂御用地(19種)を中心に考えると,ここの生物学的環境(植物,土壌など)が幼虫の食性を反映してOscinellinae亜科(多くは食腐性)の種構成を高くしたと説明できるのではないだろうか.今回の調査で,ヨシノメバエ属の2種が皇居吹上御苑の観瀑亭前流れの小規模の葦原に棲息していることが,ヨシの先端に形成された2種のゴールと,その中の幼虫で確認された.しかし,昭和天皇はすでにヨシの先端にゴールをつくるハエに気付かれており,長谷川仁氏(元北海道農業試験場長)に昆虫の種名をお尋ねになったと,氏から直接伺ったことがある.遡れば,入り江に面した江戸期の河口の葦原と皇居の内濠との隔離が成立して以降,この2種はずっと皇居に存続してきたと見なされる.なぜなら,ヨシノメバエ属はよく飛べないからである.観瀑亭前流れのヨシは,2005年10月4日に調査に赴いた時には全部刈り取られていた.刈られたヨシが他所に廃棄されたと仮定して,翌年生えたヨシに再びゴールが形成されたなら,最も近い距離の葦原(下道潅濠?)から成虫が飛来したと考えてよい.ヨシノメバエ属は,成虫が太いヨシを揺り動かして振動による交信を雌雄で行うことで知られている(上宮,1981).よく発達した飛翔筋が納まる異常に肥大した中胸部と短縮した翅は,このハエに長距離の飛翔能力を消失させた.なぜなら,飛翔は宿主である群生する葦原の範囲で行われればよく,ヨシを揺するだけの機能に特殊化したと解釈されるからである(上宮,2001).最後に,この特別なプロジェクトによって1997-2005年の間に得られたキモグリバエ科25種のうち,皇居から9種,赤坂御用地から19種,常磐松御用邸から7種を数えたものの,短時間の調査と,徹底したネットスイーピングが不足し,とくに皇居における筆者の2回目の調査日は降雨によってまったくできなかったので,ほかの昆虫相の記録と比較して不十分であると認めざるをえない.