- 著者
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桑山 敬己
- 出版者
- 日本文化人類学会
- 雑誌
- 文化人類学 (ISSN:13490648)
- 巻号頁・発行日
- vol.71, no.2, pp.243-265, 2006-09-30
ネイティヴの人類学の登場は、植民地的状況下で強者が弱者を描くという従来の人類学的図式に大幅な見直しを迫った。これまで単なる研究対象にすぎなかった非西欧のネイティヴは、「もの言わぬ土人」から「もの言う文士」へと変身し、自らの視点と言葉で自らの文化を語るようになった。しかし、英米仏が中心を占める「人類学の世界システム」にあって、周辺に置かれたネイティヴの語りは蔑ろにされがちである。本稿では、非西欧世界における唯一の宗主国・近代日本を敢えて旧植民地のネイティヴと同列に扱い、日本人が英語で自文化を語るときの問題点を探る。第1章では、「書く者」と「描かれる者」と「読む者」から構成される「民族誌の三者構造」について説明し、想定された読者の心を読む力が民族誌的表象にとって決定的に重要であることを述べる。第2章では、描かれる者にとっての意味より、読む者にとっての意味を意図的に優先させたという意味で、ベネディクトの『菊と刀』はオリエンタリズム的描写の古典であることを示す。第3章では、著者の11年間に及ぶアメリカ体験(特に文化人類学の教師としての体験)を事例に、アメリカ人に英語で日本を説明するときのポイントを明らかにする。第4章では、アメリカに帰化したハワイ大学名誉教授Takie Sugiyama LEBRAの著作を検討し、日本の語り部としてのLEBRAの戦略について考える。そして結論部では、世界システムにおける現在の力関係を考えると、たとえ英語で書いても日本人による日本の語りが世界的に流通することは難しいことを示す一方で、その困難を克服するための具体策を提案する。