著者
谷口 幸代
出版者
名古屋市立大学
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.155-168, 2008-06

多和田葉子の戯曲『Pulverschrift Berlin』は、森鴎外の『大発見』を下敷きにしながら、観客を様々な固定観念から解き放ち新しい発見へと導く。本稿はその発見の過程を、言語遊戯と新たな鴎外像の創出という二つの観点から検証する。まず、音の連想、意味の連関などから日本語とドイツ語の間を往還し国家の支配から自由になった言葉が、様々な固定観念を融解することを明らかにした。その中で鴎外の留学目的の衛生学を意味するドイツ語も解体されて日本語へ変身し、多言語の「エクソフオニー」の響きを奏でる。次に鴎外像の創出では、多和田はクライストの翻訳史に関する考察の中で、日本の近代化を推進する意志と近代化に対する批判とを併せ持つ鴎外像を構築しており、この戯曲の鴎外もそれを受けたものと考えられる。続いて作中に挿入された詩の分析へ進み、鴎外がその名のイニシャルを通して、詩の題名でもあるアルファベットの「O」に変身させられるととらえた。それは様々な固定観念から解放されるトンネルの出入り口だと考えることができる。以上から、この戯曲はルイーゼ像が建つ場所をこうした出入り口を発見する可能性に満ちた場所とする。それによって、かつてクライストが詩を捧げたプロイセン王妃ルイーゼに極めて現代的な作品として捧げ直されるべき作品として創作されたと結論した。

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こんな論文どうですか? アルファベット「O」の笑い : Yoko Tawada 『Pulverschrift Berlin l.Fur Luise』(谷口幸代),2008 http://id.CiNii.jp/dRulL

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