著者
谷口 幸代
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.354-340, 2008-12-23

大正七年自費出版の『愛の詩集』、『抒情小曲集』が認められ、室生犀星は詩壇に登場した。そして長い放浪生活から抜け出て、東京に居を構える。新進詩人はその翌年に「中央公論」に投稿した『幼年時代』など三作が認められ、一躍、文壇に登場した。以後、詩、俳句、短歌、小説、随筆、童話と、多岐にわたる足跡を残すことになる。その犀星の十五冊の日記は現在、新潮社版の全集別巻一、二に収められている。日記には原稿料や印税がそのつど丹念に書き込まれており、昭和時代の一部には原稿料を受取るまでの経過や交渉の事情まで書き留めているものもある。この原稿料授受の記録を注解しながら、筆一本の売文生活の実態と文士気質を明らかにすることが、小稿の目的である。犀星が文壇に登場した大正時代は、新聞の発行部数が飛躍的に増え、雑誌界では各種の女性誌が次々に創刊され、原稿料が飛躍的に上がった時である。総合雑誌の「中央公論」と「改造」というライバル雑誌での犀星の評価は原稿料ではかることができるほどである。昭和時代は円本ブームで始まり、戦時中に戦費調達のため源泉徴収制度が施行され、昭和二十年代は、敗戦直後の物資不足と激しいインフレによる原稿料の急騰、新円発行の金融緊急措置令による不況のため、支払の遅延や未払いの様が書き込まれている。昭和三十年代の週刊誌ブームの頃、創刊間もない「週刊新潮」の目玉だった谷崎潤一郎『鴨東綺譚』がモデル問題で中絶したとき、ピンチヒッターとして立ったのが犀星だった。円地文子は「原稿を書くことは文学者の生命なのだから、それによつて得る報酬もなおざりに考えてはいけないというお考えだつた」と回想する。
著者
谷口 幸代
出版者
名古屋市立大学
雑誌
名古屋市立大学大学院人間文化研究科人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
no.10, pp.354-340, 2008-12

大正七年自費出版の『愛の詩集』、『抒情小曲集』が認められ、室生犀星は詩壇に登場した。そして長い放浪生活から抜け出て、東京に居を構える。新進詩人はその翌年に「中央公論」に投稿した『幼年時代』など三作が認められ、一躍、文壇に登場した。以後、詩、俳句、短歌、小説、随筆、童話と、多岐にわたる足跡を残すことになる。その犀星の十五冊の日記は現在、新潮社版の全集別巻一、二に収められている。日記には原稿料や印税がそのつど丹念に書き込まれており、昭和時代の一部には原稿料を受取るまでの経過や交渉の事情まで書き留めているものもある。この原稿料授受の記録を注解しながら、筆一本の売文生活の実態と文士気質を明らかにすることが、小稿の目的である。犀星が文壇に登場した大正時代は、新聞の発行部数が飛躍的に増え、雑誌界では各種の女性誌が次々に創刊され、原稿料が飛躍的に上がった時である。総合雑誌の「中央公論」と「改造」というライバル雑誌での犀星の評価は原稿料ではかることができるほどである。昭和時代は円本ブームで始まり、戦時中に戦費調達のため源泉徴収制度が施行され、昭和二十年代は、敗戦直後の物資不足と激しいインフレによる原稿料の急騰、新円発行の金融緊急措置令による不況のため、支払の遅延や未払いの様が書き込まれている。昭和三十年代の週刊誌ブームの頃、創刊間もない「週刊新潮」の目玉だった谷崎潤一郎『鴨東綺譚』がモデル問題で中絶したとき、ピンチヒッターとして立ったのが犀星だった。円地文子は「原稿を書くことは文学者の生命なのだから、それによつて得る報酬もなおざりに考えてはいけないというお考えだつた」と回想する。
著者
谷口 幸代
出版者
名古屋市立大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2008

大正期の野村胡堂は、『報知新聞』文芸欄で、記事の執筆、新聞小説の企画などの編集作業、自らが連載読物を書く創作、と多彩に活動した。胡堂は,記者や学芸部長の活動を通して把握した文壇の動向と読者の好みに基づき、新聞小説において、新しい書き手の充実、作品の質の向上、既成の枠組みに囚われない新しい分野の開拓をめざした。大正期に始まった輪転機印刷の普及による激烈な発行部数競争を背景に、胡堂は純粋芸術とは別の新聞小説というジャンルを切り開いた。このことは『報知新聞』に森鴎外や芥川龍之介の作品が掲載されなかった理由を考える手掛かりとなり得る。
著者
谷口 幸代
出版者
名古屋市立大学
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.155-168, 2008-06

多和田葉子の戯曲『Pulverschrift Berlin』は、森鴎外の『大発見』を下敷きにしながら、観客を様々な固定観念から解き放ち新しい発見へと導く。本稿はその発見の過程を、言語遊戯と新たな鴎外像の創出という二つの観点から検証する。まず、音の連想、意味の連関などから日本語とドイツ語の間を往還し国家の支配から自由になった言葉が、様々な固定観念を融解することを明らかにした。その中で鴎外の留学目的の衛生学を意味するドイツ語も解体されて日本語へ変身し、多言語の「エクソフオニー」の響きを奏でる。次に鴎外像の創出では、多和田はクライストの翻訳史に関する考察の中で、日本の近代化を推進する意志と近代化に対する批判とを併せ持つ鴎外像を構築しており、この戯曲の鴎外もそれを受けたものと考えられる。続いて作中に挿入された詩の分析へ進み、鴎外がその名のイニシャルを通して、詩の題名でもあるアルファベットの「O」に変身させられるととらえた。それは様々な固定観念から解放されるトンネルの出入り口だと考えることができる。以上から、この戯曲はルイーゼ像が建つ場所をこうした出入り口を発見する可能性に満ちた場所とする。それによって、かつてクライストが詩を捧げたプロイセン王妃ルイーゼに極めて現代的な作品として捧げ直されるべき作品として創作されたと結論した。