- 著者
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山舘 順
- 出版者
- サレジオ工業高等専門学校
- 雑誌
- サレジオ工業高等専門学校研究紀要 (ISSN:18812538)
- 巻号頁・発行日
- vol.34, pp.125-132, 2008
本稿では幕末の伊予宇和島藩で蒸気機関改良に成功し、洋学者村田蔵六のもとで蒸気船航海をおこなったからくり師前原功山(1812-94)をとりあげ、維新後明治五-六年における彼の大阪滞在期の足跡を追い、その西洋風大型鏡製造の過程とこの間の人脈を探る。主に人物誌的側面、特に彼の後援者であった矢野安芸三郎(生没年未詳)との関係を軸に観察し、鏡製造の一応の成功にもかかわらず功山が宇和島帰郷、帰農することとなった背景である資本力の不足を指摘、また功山の長男喜作の大阪造幣寮勤務の状況から、彼ら独学による技術修得のからくり師が近代的工業技術の前に次第に前時代的性格を深めていく実例を提示することで、その過渡的性格を浮き彫りにしたい。