- 著者
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箭内 匡
- 出版者
- 日本文化人類学会
- 雑誌
- 文化人類学 (ISSN:13490648)
- 巻号頁・発行日
- vol.73, no.2, pp.180-199, 2008-09-30
本稿は、人類学的実践を言葉のみならずイメージの実践として再考しつつ、そうした「イメージの人類学」の中で、民族誌映像(写真、映画、ビデオ)の役割を考えることを提案するものである。ここでイメージとは、我々の意識に現前するすべてを指し、例えば人類学者のフィールド経験のすべては、一つのイメージの総体と見ることができる。民族誌映像は、こうしたフィールド経験のイメージ(より正確には、それに近いもの)の一部を定着させ、言葉による人類学的実践が見えにくくしてしまうような経験の直接的部分を我々に垣間見せてくれる。そうした視角から本稿でまず考察するのは、マリノフスキー、ベイトソン、レヴィ=ストロースの民族誌写真であり、そのショットの検討を通じ、各々の理論的実践がその下部で独自の「イメージの人類学」によって支えられていることを示す。そのあと、フラハティ、ルーシュ、ガードナー、現代ブラジルの先住民ビデオ制作運動の作品を取り上げ、映像による表現が、言葉による人類学が見逃してきたような民族誌的現実の微妙な動きや質感、また調査者と被調査者の間の関係を直接的に示しうることを示す。このように「イメージの人類学」を構想し、その中で民族誌映像の役割を拡大することは、「科学」と「芸術」が未分化な場所に人類学を引き戻し、それによって言葉による人類学的実践をも豊かにするであろう。