著者
山尾 大
出版者
日本中東学会
雑誌
日本中東学会年報 (ISSN:09137858)
巻号頁・発行日
no.25, pp.1-29, 2009-07-15

イラクのイスラーム主義運動は、2003年の米国によるイラク侵攻以降、多くの注目を集めてきた。とりわけ、戦後突如として政治アリーナに台頭し、政策決定過程でキャスティング・ヴォートを掌握することになったサドル派は、イラク政治の分析において重要な研究対象になりつつある。イラク・イスラーム主義運動の研究は、その蓄積が決して多いわけではないが、これまで主として、(1)1980年に国外に亡命を余儀なくされる以前の反体制運動と、(2)2003年以降の政権運営におけるパフォーマンスの2点に着目してきた。言い換えると、1980年から2003年までの、とりわけイラク国内におけるイスラーム主義運動については、実態がほとんど明らかになっていない。その最大の要因は、バアス党権威主義体制下の厳しい弾圧によって、全てのイスラーム主義運動が死滅したと考えられてきたことに求められる。それゆえに、亡命経験を持たず国内に留まったサドル派については、戦後イラクの政治分析において重要な意味を持つにもかかわらず、歴史的背景や政治社会基盤が明確になっていない。しかし、様々な資料を検討すると、サドル派の起源は1990年代の社会運動に求められることが分かる。具体的には、サドル派の指導者ムクタダー・サドルの実父であるサーディク・サドルによって、イスラーム主義を掲げた社会運動が形成され、1990年代のイラク国内で大きな動員力を獲得することとなったのである。そこで本稿は、1990年代イラクで展開されたサーディクの社会運動の実態を再構築し、抑圧的な権威主義体制下でほぼ全てのイスラーム主義運動が弾圧・禁止されてきたにもかかわらず、イスラーム主義を掲げた社会運動を結成することができたのはなぜか、そしてそれが大きな動員力を獲得することができたのはなぜか、という問題を論証する。この問題を明らかにすることは、現代イラクのイスラーム主義運動の歴史的変容過程を、イラク国内外のアクターを総合して再構築すること、ならびにイラク戦争後の政治分析におけるサドル派の政治社会基盤を解明することにも資するものである。そこで、はじめに1990年代イラクの社会運動の中心となったサーディク・サドルの軌跡と運動を創始するモチベーションを分析し(第II節)、次にサーディクの社会運動そのものを概観する(第III節)。そして最後に、サーディクがイスラーム主義を掲げた社会運動を形成することが可能となり、イラク現代史上まれに見る大きな動員力を獲得した要因およびメカニズムを、バアス党権威主義体制の政策との相関性に着目することで、明らかにする(第IV節)。本稿で解明したのは、以下の点である。サーディクは、湾岸戦争後の経済制裁によって深刻な社会経済的混乱に陥った1990年代のイラクにおいて、(1)シーア派宗教界の保護と、(2)その政治社会的役割の再活性化という二つの問題意識に基づいて、社会運動を始めた。サーディクは、果たすべき政治社会的役割を等閑にする宗教界の「静寂主義」を批判して「行動主義」の立場を取り、同時に過去のイラク・イスラーム主義の革命路線の「失敗」を反省して権威主義体制と「同盟関係」を構築した。そして、サーディクのこの姿勢は、バアス党政権が政治・社会・経済の未曽有の混乱に直面して政権と社会を安定化させるために起用した「イスラーム化政策」と「取り込み政策」(cooptation)と調和した。バアス党権威主義の政策とサーディクのモチベーションの「奇妙な一致」は、サーディクの社会運動に「合法性」を付与する結果となった。それゆえに彼の運動は勢力を拡張し、大きな動員力を獲得することとなったのである。

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