著者
今野 健一 高橋 早苗
出版者
山形大学法学会
雑誌
山形大学法政論叢
巻号頁・発行日
no.28, pp.88-69, 2003

はじめに 人々は、様々な不安や悩みを抱えながら、日々を暮らしている。病気や事故、失業、貧困、災害、犯罪などに見舞われるという事態は、程度の差はあるにせよ、誰にでも起こりうることである。そうした諸々の脅威から完全に解放されることが不可能であるならば、如何にしてそのリスクを回避しまたは小さくしていくのかが、問われなければならない。20世紀の社会国家・福祉国家は、人間の尊厳に値する生存を人々に「権利」として保障し、その役割を果たすべく各種の法制度を細密に整備してきた。それが、多様なリスクに囲まれた市民個々の生存への配慮を礼会的に行うシステムとしての「社会保障」(SocialSecurity)である。しかし、1990年代から顕著になった経済のグローバル化(globalization)と、それに寄り添う新自由主義が世界を席捲するなかで、日本においても、福祉国家のシステムとその理念は危殆に瀕している。その反作用として、社会的な保護を削り取られた人々は、失業や貧困、病気などの脅威に否応なしに直面させられる。また、グローバル化と新自由主義的政策の展開は、家族や職場、地域など既存の社会的ネットワークを解体しつつある。こうして、社会的・経済的格差の増大と、人々を保護してきた社会的紐帯の弱体化は、人々の間でますます大きな不安感を生み出している。特に見逃せないのは、社会的逸脱としての犯罪事象の増加という現象であり、日本の「安全神話」のゆらぎは、今や何人の目にも明らかになってきている。我々は前稿で、犯罪のリスクが個人のセキュリティ(またはインセキュリティの感情)に如何なる影響を与えているか、個人のセキュリティ確保のために欧米資本主義諸国で如何なる対応が採られているのかを簡略に俯瞰し、その時点での我々なりの見取り図を示した。我々の研究は、日本における犯罪のリスクに対する市民意識の変化のありように着目し、今後さらに予想される個人のセキュリティ要求の高まりを睨んで、現代の日本社会に相応しい個人のセキュリティ確保のありようを見定めることを、最終の目標としている。その目標に至る道筋として、既に個人のセキュリティの問題が社会的に広く認知され、政治的にも重要な争点を形成するに至っている欧米諸国の動向を把握する作業が不可欠となる。本論文では、前稿で示した見取り図を背景としつつ、対照的な法・政治的伝統を有するイギリスとフランスを具体の考察の対象とする。検討の手順は次のとおりである。まず、犯罪率と犯罪恐怖がセキュリティに対する政治と市民の対応に如何なる影響を及ぼすものであるかを明らかにする。次に、警察などの公的部門によるセキュリティ供給の動向を概観し比較を試みる。第3に、イギリスを素材に、非国家的なセキュリティ供給の態様・特徴・問題点を検討する。その上で、昂進するセキュリティの商品化が挙む問題点を明らかにする。

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