著者
伊藤 清司
出版者
慶應義塾大学
雑誌
史学 (ISSN:03869334)
巻号頁・発行日
vol.42, no.2, pp.163-212, 1969-11

山川の鬼神・妖怪の属性とその棲み処を記述した山経は、山林薮藪沢に立ちいる者にとつて、怪物の害を避けるうえの手引きとなつたであろうし、これはまた、崇り・揃禍いする山川の神々の正体を判別して、それに宥恕を請い、あるいは、それを撃攘しようとする者にとつて、有効なる書でもあつたであろう。しかし、圧倒的な勢威をもつて君臨し、人々の幸不幸を支配したのが岳神であつた。山経はそれら岳神の祭祀方法について具体的に記録した書でもあつた。山経は好んで怪力乱神を語るものでは、もちろんなかつたのである。人倫関係の改善や社会秩序の確立によつて、世の平和と人々の幸福を期待しうると主張する者にとつて、山川に棲む神々は敬して遠ざくべきものであり、あるいは、否定すべきものですらあつた。しかし、山川に出没する妖怪の存在を信じておびえ、去来する鬼神の怒りに恐怖する人々は、変わることなく多かつた。已然として人々は、雲を湧出する峰々に神霊の存在を観じ、「山川ノ神ハ則チ水旱癘疫ノ災」をくだし、おるいはまた、「能ク百里ヲ潤ス」恩沢を賜うものと信じていた。山川の超自然的存在がこの世の禍福を左右するものと信じる社会にとつて、その超自然的存在について誌した山経は、決して、虚誕の書ではなかつたのである。山経は古代中国の邑里にくらす人々の伝来の民間信仰と、それらにかかわる日々のなりわいの苦悩とをふまえ、これに対処せんとする者-おそらくは、巫祝たちの儀礼の書としての一面をもつものである。山経はたしかに一つの実用の書であつた。 「漢書」芸文志によれば、かつて 禎祥変怪 二十一巻 人鬼精物六畜変怪 二十一巻 変怪誥咎 十三巻 執不祥劾鬼物 八巻 請宿除妖祥 十九巻 禳祀天文 十八巻 請〓致福 十九巻 請雨止雨 二十八巻の諸書が存していたという。今日、これらの古書の具体的な内容は知るべくもないが、「禎祥変怪 二十一巻」・「人鬼精物六畜変怪 二十一巻」等は、その名から想像して、山経の記録している百物・怪力乱神の類が含まれていたであろうし、「執不祥劾鬼物 八巻」・「請官除妖祥 十九巻」等には、これらの魑魅罔両・神姦を除祓するための儀礼・呪術が説かれていたとみられ、「請雨止雨 二十八巻」には、「現ワルレバ則チ大雨・現ワルレバ則チ大旱」を致す水神・旱鬼を宥和・祓除する呪術が記されていたとみられる。すなわち、これら一群の佚書の中には、山経の妖怪・百物の神々等に関する記述につながるものがあり、あるいは、その奥義書Upanisad的なものともいうべき書が含まれていると想像されるのである。他方、山経の岳神祭祀に関する記載自体は、どぢらかというと、礼書的体裁を帯びている。これらの点から、山経は「周礼」春官にみられる職掌に該当するもの、おそらくは祝史らの管轄するところではなかつたかと想像されるのであるが、山経と祝史・巫祝との関係については、稿を改めて考えることとする。

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