- 著者
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中畑 邦夫
- 出版者
- 国立音楽大学
- 雑誌
- 研究紀要 (ISSN:02885492)
- 巻号頁・発行日
- vol.45, pp.49-60, 2010
坂口安吾の短編「桜の森の満開の下」を、我々はいわゆる「社会契約説」における「自然状態」から「社会状態」への移行を物語として表現したものとして解釈することができる。従来、社会契約説に特有のアポリアの一つとして、「自然状態に生きる無知なる自然人が、なぜ未知の社会状態へと進むことを選ぶのか」という「動機」の問題が指摘されてきた。それは無知な自然人を突き動かすほどの魅力をそなえたものでなければならないはずであり、安吾によればそれは「美」なのである。しかし美は、社会状態全体の一つの側面に過ぎないのであって、自然人は社会状態において文化や秩序の醜悪さに直面することになる。この物語は自然人である主人公が都という社会状態からやってきた一人の女の美しさによって自然状態を離脱し、社会状態の中で文化や秩序の醜悪さと退屈さに苦悩しつつ、結末においてそういったものの根源にある「虚空」に気付いてしまうというプロセスを悲劇的に描いたものである。物語の中で描かれる文化や秩序とは読者である我々が現にその中で生きているものであり、その根源にも虚空が横たわっている。したがってこの作品はたんに一つの物語であることを超えて、安吾独自の自然-社会状態論として解釈することも出来るのである。