著者
塚田 花恵
出版者
国立音楽大学
雑誌
研究紀要 = Kunitachi College of Music journal (ISSN:02885492)
巻号頁・発行日
vol.57, pp.209-218, 2023-03-31

本稿は、19世紀フランスの作曲家エクトール・ベルリオーズが執筆した小説『ユーフォニア、あるいは音楽都市』のうち、「パリ」と「第三の手紙」を、日本語に翻訳したものである。この小説は、1844年に音楽雑誌『ルヴュ・エ・ガゼット・ミュジカル・ド・パリ』に発表され、その後『オーケストラ夜話』(1852年) の一部となった。ベルリオーズはこの小説において、ファム・ファタルによって狂わせられていく二人の青年作曲家―これらの登場人物は、ベルリオーズ自身と、かつて彼と恋愛関係にあったピアニストのカミーユ・モークをモデルとしている―の悲劇を軸として、同時代のヨーロッパの音楽文化を、ときにユーモアを交えて鮮やかに描き出した。ベルリオーズの伝記的な資料としても、19世紀フランスの音楽批評としても、第一級の史料的価値をもつテクストだと言えるだろう。
著者
塚田 花恵
出版者
国立音楽大学
雑誌
研究紀要 = Kunitachi College of Music journal (ISSN:02885492)
巻号頁・発行日
vol.56, pp.181-191, 2022-03-31

本稿は、19世紀フランスの作曲家エクトール・ベルリオーズが執筆した小説『ユーフォニア、あるいは音楽都市』のうち、最初の「第一の手紙」と「第二の手紙」を、日本語に翻訳したものである。この小説は、1844年に音楽雑誌『ルヴュ・エ・ガゼット・ミュジカル・ド・パリ』に発表され、その後『オーケストラ夜話』(1852年)の一部となった。ベルリオーズはこの小説において、ファム・ファタルによって狂わせられていく二人の青年作曲家――これらの登場人物は、ベルリオーズ自身と、かつて彼と恋愛関係にあったピアニストのカミーユ・モークをモデルとしている――の悲劇を軸として、同時代のヨーロッパの音楽文化を、ときにユーモアを交えて鮮やかに描き出した。ベルリオーズの伝記的な資料としても、19世紀フランスの音楽批評としても、第一級の史料的価値をもつテクストだと言えるだろう。
著者
渡辺 俊哉
出版者
国立音楽大学
雑誌
研究紀要 = Kunitachi College of Music journal (ISSN:02885492)
巻号頁・発行日
vol.55, pp.245-251, 2021-03-31

初の作品集のCD作成にあたり、まずコンサートのライヴ録音とCD録音との違いを考察して、それぞれの特長を述べる。そしてそこから導き出された考察の結果、全曲新しく録音するという結論に至った経緯と、今回の収録にあたって作曲した新曲について、更に他の収録曲について述べる。日本語の詩を用いた新曲に関しては、その中で試みたことや、詩の選択に関して考えたこと、その狙い、また器楽曲の作曲との違いなどを述べる。最後にCD発売後の反響や、石川星太郎(指揮)、星谷丈生(作曲)、筆者によって結成された「庭園想楽」の第1回オンライン・レクチャー、「渡辺俊哉自作を語る」の講演において新曲について触れた際に、石川星太郎より指摘された箇所の考察を通して、作曲家側と演奏家側の視点の違いを紹介する。
著者
吉成 順
出版者
国立音楽大学
雑誌
研究紀要 = Kunitachi College of Music journal (ISSN:02885492)
巻号頁・発行日
no.55, pp.131-137, 2021-03-31

19世紀イギリスのミュージック・ホールをきっかけに「ポピュラー音楽」というカテゴリーが生まれた頃から(吉成 2014)、大衆娯楽としての音楽上演が各地で盛んになり、20世紀のTVショーへと受け継がれていく。だがトーキー映画以前の時代にそれらが舞台上でどんな風に演じられていたか、という具体的な様子は、メディアの限界もあって十分に分かっていない。本稿は、ポール・ホワイトマン楽団で活躍した演奏家ウィリー・ホールによるヴァイオリンの曲弾きや、我が国の少女歌劇における「男役」文化といった20世紀音楽文化の歴史的ルーツが19世紀のミュージック・ホールにまで直接的に遡ることを確認し、音楽上演における身体的・視覚的要素の理解が音楽史や音楽文化の総合的な理解に不可欠であることを示す。
著者
川﨑 瑞穂
出版者
国立音楽大学
雑誌
研究紀要 = Kunitachi College of Music journal (ISSN:02885492)
巻号頁・発行日
vol.56, pp.25-36, 2022-03-31

筆者は本誌第51号に掲載した拙稿にて、千葉県館山市、南房総市、鋸南町に伝わる「平群囃子」について研究したが、そこでは、千葉県香取市佐原から千葉県北東部・茨城県南部一帯に広く分布が確認されている「佐原囃子」との関係について考察することができなかった。本稿ではまず、佐原囃子の先行研究を辿りつつ、平群囃子と比較分析することで、両者の関係性について考察する。そこでは、前稿で指摘した平群囃子と「風流拍子物」との関係が、佐原囃子にも指摘されていることを確認した上で、両者の楽曲《サンギリ》(シャギリ)の比較分析を試みる。次に、前稿にて若干指摘した、平群囃子における楽曲《祇園囃子》に用いられている特徴的な旋律モチーフについて、さらに事例を広げて考察し、平群囃子と風流拍子物との関係について、音楽学の立場からの一定の見解を提示する。
著者
中畑 邦夫
出版者
国立音楽大学
雑誌
研究紀要 (ISSN:02885492)
巻号頁・発行日
vol.45, pp.49-60, 2010

坂口安吾の短編「桜の森の満開の下」を、我々はいわゆる「社会契約説」における「自然状態」から「社会状態」への移行を物語として表現したものとして解釈することができる。従来、社会契約説に特有のアポリアの一つとして、「自然状態に生きる無知なる自然人が、なぜ未知の社会状態へと進むことを選ぶのか」という「動機」の問題が指摘されてきた。それは無知な自然人を突き動かすほどの魅力をそなえたものでなければならないはずであり、安吾によればそれは「美」なのである。しかし美は、社会状態全体の一つの側面に過ぎないのであって、自然人は社会状態において文化や秩序の醜悪さに直面することになる。この物語は自然人である主人公が都という社会状態からやってきた一人の女の美しさによって自然状態を離脱し、社会状態の中で文化や秩序の醜悪さと退屈さに苦悩しつつ、結末においてそういったものの根源にある「虚空」に気付いてしまうというプロセスを悲劇的に描いたものである。物語の中で描かれる文化や秩序とは読者である我々が現にその中で生きているものであり、その根源にも虚空が横たわっている。したがってこの作品はたんに一つの物語であることを超えて、安吾独自の自然-社会状態論として解釈することも出来るのである。
著者
横井 雅子
出版者
国立音楽大学
雑誌
研究紀要 = Kunitachi College of Music journal (ISSN:02885492)
巻号頁・発行日
no.55, pp.121-130, 2021-03-31

外部者としてハンガリーに流入したロマが18世紀後半にジプシー楽団を形成し、国内のみならずヨーロッパで広く人気を博したことは比較的よく知られている。楽譜の読み書きも出来なかった彼らが全てのレパートリーを記憶し、卓越した技術でアンサンブルを成立させるさまは、楽譜を介しての音楽作りがデフォルトだった人々にとっては驚異であったに違いない。しかし、このことだけでは彼らが「ハンガリー風」音楽の仲介者となった力学を説明することはできない。また、彼らが取り次いだ音楽がさまざまな形で多様に親しまれ、人口に膾炙していったありさまはジプシー楽団だけに注目しても理解できない。「ハンガリー風」音楽がどのように広まるのか、どのような需要を生み出したのかを、ここでは初期の「ハンガリー風」音楽の著名な作り手であったラヴォッタ・ヤーノシュと関わる作品の楽譜の検証を通して跡付けた。
著者
堀 朋平
出版者
国立音楽大学
雑誌
研究紀要 = Kunitachi College of Music journal (ISSN:02885492)
巻号頁・発行日
vol.53, no.1, pp.187-198, 2019-03-29

ウィーン会議からカールスバート決議の間(1814-19年)には、若者たちの半ば秘密裏な団体が複数結成された。画家・文筆家・俳優たちが集うウィーンの「ナンセンス協会」(1817-18年)は、時事ネタやジョークをふんだんに織り交ぜた週刊誌『人間的ナンセンスのアーカイヴ』(全29編が現存)で知られる。シューベルトの関与を示す直接証拠はないが、協会のコード化(換喩やアナグラム等)に照らすと、作曲家の痕跡が数多く見出される。この種の――反証不可能な――痕跡をもとに音楽の意味やその成立背景をめぐって解釈を紡ぐことは「学問」の名に値しないという見解も道理である。いっぽうで「伝記的事実」は歴史的に揺らぎうるし、高尚でない話題を音楽学が抑圧してきた事実も否定できない。「ナンセンス協会」をめぐる学説の帰趨は、作曲家の生をいかに物語るか? という問題を考える試金石となるだろう。
著者
増山 暁子
出版者
国立音楽大学
雑誌
研究紀要 (ISSN:02885492)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.133-147, 1978
著者
平野 智美
出版者
国立音楽大学
雑誌
研究紀要 = Kunitachi College of Music journal (ISSN:02885492)
巻号頁・発行日
vol.51, pp.135-145, 2017-03-31

ヨハン・セバスティアン・バッハがヨハン・エルンスト公子の依頼によって、最新の協奏曲をクラヴィーア用に編曲したことは広く知られている。クラヴィーアへの編曲は17曲あるが、そのうち6作品がアントニオ・ヴィヴァルディの原曲に由来する。本稿ではこれら6作品のうちヴィヴァルディの協奏曲集《調和の霊感》(Op.3-9)に基づいて編曲されたクラヴィーア曲(BWV972)について現存する資料を整理し、最終稿(BWV972)とヨハン・アンドレアス・クーナウによる写しで伝えられている初期稿(BWV972a)を比較した。バッハが編曲の過程でどのような独自性を追求したのかを考察、分析した結果、編曲技法の特徴である内声の付加やバスの旋律線の強化などの際にも、瞬間的に生まれる音の響きとそれらが連続して織り成す和声を念頭に置いて作曲していること、さらに減衰効果の強いクラヴィーアという楽器で、旋律や和音を持続させるよう試みられていることが明らかになった。
著者
末松 淑美
出版者
国立音楽大学
雑誌
国立音楽大学研究紀要 (ISSN:02885492)
巻号頁・発行日
vol.47, pp.23-34, 2012

同じ語源に由来する話法の助動詞sollen(ドイツ語)、zullen(オランダ語)、shall(英語)の意味論的比較を試みる。本稿は、その第一段階である。辞書および文法書の例文を集めてコーパスとし、用法別の対照表を作成する。コーパスの規模は小さいが、いくつかの傾向をそこから読み取ることができる。たとえば、非認識的用法の1つで、sollenが「主語以外の意志」に由来する必然性を表しているのに対し、zullenやshallはより強く話者の意志を表現していること。いっぽう認識的用法では、sollenとzullenには「伝聞」の用法があるが、shallにはないこと。また、zullenやshallには、sollenにはない「話者の主観的推量」の意味があることなどである。三者の違いを概観し、報告する。
著者
伊藤 牧子
出版者
国立音楽大学
雑誌
研究紀要 = Kunitachi College of Music journal (ISSN:02885492)
巻号頁・発行日
no.55, pp.1-6, 2021-03-31

ピアノは、日本企業の独特の技術革新による低価格化や、音楽教室などの市場開拓を契機とし、日本国内に広く普及した。国内のピアノの生産台数は1980年をピークに世界第一位となり、その後減少しているものの、今までの総生産台数は約1000万台に達する。その結果、ピアノ演奏技術の習得者が増加し、日本の音楽文化に大きな影響を与えた。しかし、昨今、子どもの成長や進学と共に使われなくなって放置され、楽器としての機能を十分発揮できない「休眠ピアノ」が増えている。本来ピアノは新旧によらず、定期的なメンテナンスによってその能力は引き出され、長期の使用が可能である。よって技術的観点から、休眠ピアノのような古いピアノに修理などのメンテナンスを丁寧に実施し、再利用することを提案する。自然素材で作られたピアノを再利用することは、家庭の歴史を刻むことに加え、環境問題にも有効であり、ピアノ文化を発展させていくことにもつながると考える。
著者
井上 郷子
出版者
国立音楽大学
雑誌
研究紀要 = Kunitachi College of Music journal (ISSN:02885492)
巻号頁・発行日
no.55, pp.253-259, 2021-03-31

松平頼則と松平頼暁は、現代日本を代表する作曲家であり、親子の関係にある。筆者は、2020年3月1日、東京オペラシティ・リサイタルホールにて「井上郷子ピアノリサイタル#29 松平頼則・松平頼暁ピアノ作品集」(欧文表記"Satoko Inoue Piano Recital #29 Piano Works by Yoritsune Matsudaira and Yori-aki Matsudaira"を行なった。このリサイタルでは、両氏の作曲様式を比較、研究し、演奏することによって浮かび上がらせ、更に現代日本の作曲界が歩んできた道を再確認することをも意図した。本稿はこのリサイタルの報告である。松平頼則、松平頼暁両氏の作品には、長年の作曲活動の中で一貫して変わらない「芯」となっているものがあり、それは、頼則氏の場合は「ヨーロッパ芸術音楽の技法と雅楽との融合」であり、頼暁氏の場合は「形式構造」であることを、本研究を通して確認することができた。
著者
横山 修一郎
出版者
国立音楽大学
雑誌
研究紀要 (ISSN:02885492)
巻号頁・発行日
vol.44, pp.37-46, 2009

ダンテ・アリギエーリは、『神曲』の「天国」第2歌において、月の表面にはなぜ斑状の模様(月の海)が見えるのか、という議論を展開する。そして、ダンテは、この「月の斑点」の理由説明をきっかけに、最終的には神から地上世界に至るまでの宇宙全体の組織図とその組織を動かすものが何か、ということを示す。ゆえに「天国」第2歌は、読者に論理的に思考することを求める言わば「学術的な」歌章であることは否定できないだろう。しかしながら、「天国」第2歌からは、知識という外在的な学術的要素と詩人ダンテの内在的な詩的発想とが、見事に調和する様を読み取れるのではないだろうか。
著者
槌谷 智子
出版者
国立音楽大学
雑誌
研究紀要 (ISSN:02885492)
巻号頁・発行日
vol.49, pp.81-92, 2014

パプアニューギニアに暮らすフォイでは、多くの昔話、寓話、神話、歴史的出来事が口頭で伝承されてきた。フォイの伝承には、結末で人間が動物や植物に変身するものが多いが、本論では人間が鳥に姿を変える伝承を集めた。伝承を通して、フォイにおける、善と悪、美と醜、強者と弱者への視点と価値観、社会的規範、超自然的力や存在に対する信仰、悲しみと怒りといった感性を知ることができる。伝承の中で、人間は動物に変身し、霊的存在は動物にも人間にも化身する。結末での動物への変身は、人間としての死と動物世界での再生が暗示されている。そこには絶対的価値の対立があるのではない。絶対的善や悪が存在するのではなく、美と醜、弱者と強者は時に逆転する。超自然的存在は現実世界に包含され、あるいは超自然的世界に人間は包含される。超自然的存在と人間は相互に交流し、相互に転換しうる。フォイにおいて人間と動物、現実世界と超自然的世界は断絶したものではなく、連続的なものである。
著者
中溝 一恵
出版者
国立音楽大学
雑誌
研究紀要 (ISSN:02885492)
巻号頁・発行日
vol.41, pp.61-72, 2006

江戸時代の錦絵などに木琴が描かれていた。歌舞伎の演目『天竺徳兵衛韓噺』で木琴が舞台上で奏された場面に始まり、ほぼ19世紀を通じて描かれ続けた。描かれた木琴の中には現在の木琴に存在しない部品が描かれている場合があり、どのように解釈すべきかという点に絞って検証した結果、当時のインドネシアのガンバンと呼ばれる木琴に同様の部品が付けられていたことが判明した。描かれた木琴とガンバンは構造上も際立った類似性を持つ。18世紀末の資料にオランダ人と木琴の関係に触れた記述が既に見られることから、描かれた木琴はオランダの植民地インドネシアのガンバンを模したものである可能性が高い。従来日本の木琴は中国に由来するとされており、描かれた木琴と中国由来の木琴に関する課題が浮かび上がってきた。
著者
近藤 伸子
出版者
国立音楽大学
雑誌
研究紀要 = Kunitachi College of Music journal (ISSN:02885492)
巻号頁・発行日
vol.57, pp.231-236, 2023-03-31

本稿は2022年4月5日,本学講堂大ホールにて,基礎ゼミお話(1)「シュトックハウゼンを知っていますか?」と題して行ったレクチャーの報告である.あまり触れる機会のない「現代音楽」の魅力を伝えると同時に,シュトックハウゼンのクリエイティブで固定観念を打ち破る作品や生涯から,今後の学生生活へのヒントを汲み取って欲しいと願い,このテーマを選んだ.