著者
塩月 亮子
出版者
日本橋学館大学
雑誌
日本橋学研究 (ISSN:18829147)
巻号頁・発行日
vol.1, no.1, pp.51-62, 2008-03-31

本稿では、東京・日本橋のなかでも花街として有名な芳町(よし町)の歴史を概観し、そこに住む三味線店主や理髪店主の話等をもとに、芳町と職人の関係、および町の推移について考察した。その結果、江戸時代に吉原遊郭があり、それが移転した後も芝居小屋が近くにあった芳町は、芸妓が多数居住する場所となり、明治、大正時代には花街として活況を極め、それが昭和30年(1955)初めまでは続いたことがわかった。芳町の職人たちも花柳界において大切な役割を担い、共存共栄関係を保っていた。ことに理髪店は銭湯と対の関係として、芸者たちの日常生活を支えてきたことも明らかとなった。しかし、明治期に始まる近代化により隅田川は汚染され始め、戦後は高度経済成長期に高速道路や高層ビルの建設、防潮堤設置等が進み、景観が損なわれた。それが原因のひとつとなり、芳町花街は衰退した。芳町は従来、都市の変化を映す盛り場のひとつとして、多様性や演劇性といった特徴を兼ね備え、さらに河川という空間性も加わり、自然の景観を重視した由緒ある街として機能してきた。芳町の今後を考える上では、そのことを再認識し、河川をはじめとする景観の再生にむけて力を注いでいくべきであろう。

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花街と景観 ―日本橋・芳町における芸者衆・職人・河川の変遷をめぐって― https://t.co/rmyohzuKVD
花街では芸者さんのために銭湯と床屋が一連の流れで仕事をしていたみたいな話が面白い https://t.co/QMo0Jx8cxX

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