著者
福井 栄二郎
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.77, no.2, pp.203-229, 2012

個人名は、しばしば人類学的、あるいは哲学的な議論の対象とされてきた。名前は社会的分類指標であり、特殊性のあらわれであるとする議論が一方にあり、他方には、単独性、代替不可能性のあらわれであるとする議論がある。名前について、当該社会における意味や機能を考察する文化人類学では前者の議論に親和性が高い。だが、それでは単独性に到る回路を捨象してしまうことになる。また名前の議論は歴史と関連付けられながら論じられることが多いが、他方で人々の歴史認識が変化することが考慮されていない。こうした問題関心のもと、本稿ではメラネシア、ヴァヌアツ共和国アネイチュム島の事例を考察する。アネイチュムでは個人名が土地保有と密接にかかわっている。ゆえに人々は細心の注意を払い、そして有している知識を総動員して命名を行う。しかし、18世紀中頃からの社会変容に伴い、土地や名前に関する知識の多くが忘失された。現在でも、命名の際、多くの問題が生じているし、一度つけた名前にクレイムがつくことさえある。彼らの言を借りれば、伝統文化は「めちゃめくちゃ」になり、何が「正しい」のかわからないということになる。認められていないはずの名前の創作さえ、近年ではしばしばみられる。アネイチュムにおいて、たしかに名前は社会的な分類指標なのだが、他方で、他者の単独性を示すために名前を用いるという構えは日常の至るところに見出せる。つまり名前の示すものは決して一様ではなく、人々は名前に対する複数の「物語」をスイッチさせているのだといえる。

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