著者
福井 栄二郎
出版者
島根大学法文学部山陰研究センター
雑誌
山陰研究 (ISSN:1883468X)
巻号頁・発行日
no.11, pp.57-82, 2018-12

本稿の目的は「地域」の意味を考察することである。この「地域」という概念が多義的であることはこれまでにも議論されてきた。文化人類学の用語を用いれば「地縁集団」に近く、同質性・均質性をその特徴としている。だが都市部における「地域」は、これとはまた異なった様相を呈する。それは匿名的な集団で、成員たちに共通する価値観はない。むしろ見知らぬ者どうしが問題解決的な目的に沿って集合した集団であるともいえる。これらの特徴を齋藤(2000)の議論に沿って整理すれば、前者を「共同体」、後者を「公共圏」と言い換えることができるだろう。そして「地域」をどのように捉えるにせよ、こうした集団から排除される「他者」がいるのもまた事実である。本稿では、刑余者の方々に生活史のインタビューを試みた。彼らは刑期を終え、それまで何の紐帯もない「地域」でいきなり暮らすことを余儀なくされる。また「元犯罪者」というスティグマも抱えて生活しなければならない。それゆえ彼らの多くは地域から排除されており、そのなかでうまく暮らせていないという感情を抱いている。家族とは音信不通で、友人もおらず、孤独を訴える者も少なくない。つまり、その疎外感は「親密圏」が構築できないことに存しているともいえる。こうした一連の考察を踏まえ、「地域」を「社会的なもの(the social)」としてだけではなく、私的・個人的な親密圏という観点から考察する必要性について指摘した。
著者
浜渦 辰二 中村 剛 山本 大誠 福井 栄二郎 中河 豊 前野 竜太郎 高橋 照子 備酒 伸彦 竹之内 裕文 竹内 さをり
出版者
大阪大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2010

医療,看護,リハビリ,介護,福祉,保育,教育まで広がる「北欧ケア」を,哲学・死生学・文化人類学といったこれまでこの分野にあまり関わって来なかった研究者も参加して学際的に,しかも,実地・現場の調査により現場の人たちと研究者の人たちとの議論も踏まえて研究を行い,医療と福祉をつなぐ「ケア学」の広まり,生活中心の「在宅ケア」の広まり,「連帯/共生」の思想が根づいていること,などが浮かび上がってきた。
著者
福井 栄二郎
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.70, no.1, pp.47-76, 2005-06-30 (Released:2017-09-25)
被引用文献数
1

本稿は、筆者が調査を行ってきたヴァヌアツ共和国・アネイチュム島の事例をもとに、彼らの伝統文化の真正性が変動する、その様態を明らかにするものである。アネイチュム語で「ネテグ(netec)」とは土地保有集団、親族集団を指し、一般的には父系の理念で成員権が決定される。またネテグは個人名の保有集団としても機能している。つまりあるネテグにはつけてもよい個人名が決められていて、それらを他のネテグの成員に命名してはいけないとされる。しかし実際には、非男系成員の編入も、個人名の他ネテグへの拡散も、相当数存在している。たしかに理念には抵触するのであるが、これまでそうした事象は、事実上「黙認」されていた。ただ近年になってこのような「黙認」の事象が引き金となり、土地問題が生じてきている。そこで彼らはこれまで「黙認」だった事象を「間違った」ことと捉え直すようになり、今後は禁止しようとしている。つまりある事象に対して「黙認」から「禁止」へと真正性が変動したのだと考えられる。このように、ある伝統的事象が「正しい」とか「間違っている」と考える際、彼らが参照にしているのが、西洋人がやってくる以前の「かつての姿」である。そこで本稿では、島民たちの考える「かつての姿」を歴史資料を用いて多面的に考察するが、彼らの認識は必ずしも「事実」ではないのかもしれない。ただ重要なことは、それが「事実」かどうかなのではなく、伝統文化をはかるときのメルクマールとして実際に機能しているという点である。つまり彼らの「歴史」はひとつのリアリティを有しているし、換言すれば、伝統文化とは彼ら自身の歴史認識を抜きに理解することができないのだと結論づける。
著者
福井 栄二郎
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
vol.2008, pp.310-310, 2008

本発表は、看護学生が医療人類学を学ぶ意味を考察する。彼女たちは必ずしも文化人類学的な思考に同調せず、進化主義的な考えを持っていることも多い。では、近代医療の実務者としてトレーニングを積む彼女たちに、文化相対主義を基本姿勢とする医療人類学を教える意味はどこにあるのだろうか。こうした問題をアンケート調査から考察し、文化相対主義と進化主義を架橋するような実践を探ってみたい。
著者
福井 栄二郎
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
vol.2008, pp.301-301, 2008

本発表では、老年人類学の新たな可能性を提示するが、その足がかりとして、社会構築主義―つまり「老人」というカテゴリーやそこに付随する社会的な規範は社会的、言説的、歴史的に構築されているという考え方―の再考を行いたい。発表者が調査を行なってきたヴァヌアツ・アネイチュム島の「伝統を知らない」とされる老人の事例をもとに、「老人」を構築する行為とは、一体何なのかを探求する。
著者
福井 栄二郎
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第55回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.G16, 2021 (Released:2021-10-01)

近年の人格論はストラザーンのdividual/individualという議論をいかに乗り越えるかという点に焦点が当てられており、そのなかでバード=デイヴィッドらは「状況的人格」という概念を提起している。本発表はこれを手がかりに、ヴァヌアツ・アネイチュム島における死の場面の事例を考察し、ストラザーンの議論の限界を指摘する。そして状況的人格の特徴を「二人称的」であることとし、その学術的意義を再考する。
著者
福井 栄二郎
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.77, no.2, pp.203-229, 2012

個人名は、しばしば人類学的、あるいは哲学的な議論の対象とされてきた。名前は社会的分類指標であり、特殊性のあらわれであるとする議論が一方にあり、他方には、単独性、代替不可能性のあらわれであるとする議論がある。名前について、当該社会における意味や機能を考察する文化人類学では前者の議論に親和性が高い。だが、それでは単独性に到る回路を捨象してしまうことになる。また名前の議論は歴史と関連付けられながら論じられることが多いが、他方で人々の歴史認識が変化することが考慮されていない。こうした問題関心のもと、本稿ではメラネシア、ヴァヌアツ共和国アネイチュム島の事例を考察する。アネイチュムでは個人名が土地保有と密接にかかわっている。ゆえに人々は細心の注意を払い、そして有している知識を総動員して命名を行う。しかし、18世紀中頃からの社会変容に伴い、土地や名前に関する知識の多くが忘失された。現在でも、命名の際、多くの問題が生じているし、一度つけた名前にクレイムがつくことさえある。彼らの言を借りれば、伝統文化は「めちゃめくちゃ」になり、何が「正しい」のかわからないということになる。認められていないはずの名前の創作さえ、近年ではしばしばみられる。アネイチュムにおいて、たしかに名前は社会的な分類指標なのだが、他方で、他者の単独性を示すために名前を用いるという構えは日常の至るところに見出せる。つまり名前の示すものは決して一様ではなく、人々は名前に対する複数の「物語」をスイッチさせているのだといえる。
著者
吹野 卓 江口 貴康 片岡 佳美 福井 栄二郎
出版者
島根大学
雑誌
挑戦的萌芽研究
巻号頁・発行日
2009

本研究は、過疎集落において「聞き書き文集」を発行し、それが住民間の「共感形成」に及ぼす効果を検討する実験的な研究である。文集のような日常的対話とは異なる新たな媒体が一定の効果を持つこと、および過疎化・高齢化が進行している集落では「家」の垣根を越えた援助行動が必要となっており、そのために住民相互の「共感」がもつ意味が大きいことが判った。またこの手法は地方自治体の新人研修に応用された。