著者
臼杵 陽
出版者
日本中東学会
雑誌
日本中東学会年報 (ISSN:09137858)
巻号頁・発行日
vol.28, no.2, pp.59-84, 2012

本論文は大川周明の生涯を通して彼のイスラームへの関心の変化を論じる。大川は右翼のアジア主義者として知られているが、イスラーム研究者でもあった。彼は東京帝大時代スーフィズムに関心をもった。しかし、彼は 1913年、内的志向の精神的イスラームから外的志向の政治的イスラームその関心を転換させた。同時期、「コーランか剣か」を預言者ムハンマドの好戦的表現だと考えていた。しかし、オスマン帝国崩壊後はイスラームに関して大川は沈黙を保った。約20年後の1942年、大川は著名な『回教概論』を刊行した。同書は読者の期待に反して、日本の戦争宣伝を意図するものではなかった。同書は日本的オリエンタリストの観点から理念型的なイスラームとイスラーム帝国絶頂期の理想化されたイスラーム国家の姿を描いたものだったからである。戦後、東京裁判の被告となったが精神疾患のため免責された。大川は松沢病院でクルアーンの翻訳を行なう一方、完全な人格としての預言者ムハンマドへの崇敬を通してイスラームへの関心を取り戻した。晩年の大川は開祖を通してキリスト教、イスラーム、仏教などの諸宗教を理解する境地に達したのである。

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