著者
片岡 千賀之 亀田 和彦
出版者
長崎大学
雑誌
長崎大學水産學部研究報告 (ISSN:05471427)
巻号頁・発行日
vol.94, pp.29-55, 2013-03

汽船トロールはその発祥から第二次大戦までの40年弱の期間を,社会経済情勢や許可隻数と漁獲高の推移から4期に分けることができる。(1)明治41年から第一次大戦まで 明治41年に汽船トロールが英国から導入されて確立する。それ以前の木造船はもとより,同時に国内で建造された鋼船もその性能において大きく劣っていた。漁獲成績が良かったことから漁船数が急増し,国産技術として確立するのも早かった。参入してきたのは,漁業と無縁な投機家や造船所,汽船捕鯨の関係者などであった。造船所は日露戦後の沈滞を打破する業種として,汽船捕鯨は隻数が制限されて新たな投資先として同じ汽船漁業のトロールに注目したのである。投資規模,漁業技術ともに在来漁業とは隔絶しており,経営方法も会社組織による資本制経営がとられた。トロール漁業者は大きく九州勢と阪神勢に分かれ,互いに反目し,統一行動が出来なかった。トロール経営は漁労中心主義で経営を考えない粗略なものが多かった。初期の汽船トロールは規制がなく,沿岸域で操業したことから沿岸漁民・団体の猛反対を受け,政府も該漁業を大臣許可漁業とし,沿岸域を禁止漁区にするとともに遠洋漁業奨励法による奨励を廃止した。禁止漁区の設定で,漁場は朝鮮近海に移るが,新漁場が次々発見されて漁獲量が増大し,魚価も維持されたので明治42・43年には早くも黄金期を迎えた。トロール漁業の根拠地は,漁場に近く,漁港施設,漁獲物の鉄道出荷に便利な下関港を中心に,長崎港,博多港に収斂した。トロール漁業誘致のため,漁港施設・魚市場の整備が進められ,魚問屋の中からトロール漁獲物を扱う業者が現れた。トロール船の急増で漁場が狭くなり,禁止漁区の侵犯が頻発すると,禁止区域が拡大され,漁場は東シナ海・黄海へ移った。漁場が遠くなって経費が嵩む一方,魚価が低下するようになってトロール経営は一転して不振となった。ただ,漁船は惰性で増加を続け,大正2年には最大となる139隻に達した。苦境を脱する方法として,多くの経営体は合同して経営刷新を目指した。その代表が阪神勢を中心とした共同漁業(株)である。これら業者は第一次大戦が勃発して船価が急騰すると欧州などへ売却してトロール漁業から退散する。一方,生産力を高めてトロール漁業に留まった田村市郎率いる田村汽船漁業部は第一次大戦中の魚価の暴騰による利益を独り享受しつつ共同漁業を掌中に収める。

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こんな論文どうですか? 汽船トロール漁業の発展と経営(片岡 千賀之ほか),2013 https://t.co/hCZJVbKt27 汽船トロールはその発祥から第二次大戦までの40年弱の期間を,社会経…
こんな論文どうですか? 汽船トロール漁業の発展と経営(片岡 千賀之ほか),2013 https://t.co/sMbTpE055U 汽船トロールはその発祥から第二次大戦までの40年弱の期間を,社会経…

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