- 著者
-
中谷 和人
- 出版者
- 日本文化人類学会
- 雑誌
- 文化人類学 (ISSN:13490648)
- 巻号頁・発行日
- vol.77, no.4, pp.544-565, 2013-03-31
芸術人類学にとって目下最重要の課題は「表象主義」の克服にある。ここでいう表象主義とは、芸術に関する諸問題を何であれ世界の「再現/表象」の問題に還元して理解する立場を指す。相対主義にせよ構築主義にせよ、従来の視点の多くがこの立場を共有してきた。だが表象主義は、外的世界と内的世界の二項対立を前提とするがゆえに、究極的には芸術の営みを私たちが生きるこの世界から排除し、いわば神秘化することへとつながる。知覚心理学者ギブソンを嗜矢とする生態学的なアプローチは、こうした表象主義とそれが依拠する二元論を乗りこえるための一方策となりうる。人間と環境の相互依存性を原則とする彼の視角は、メルロ=ポンティの現象学的身体論や絵画論にも通底する。またこの視角が含意するプラグマティックな存在論は、ジェルの芸術論とも基本的な考えを共有する。これをふまえ、本論ではデンマークの障害者美術学校における知的な障害のある人たちの絵画制作活動を検討する。活動現場で注目すべきは、一見謎めいた生徒たちの制作が、実際にはその周囲の事物との緊密なかかわりあいのなかで実現している点である。制作に関わる技能や動機づけは、その内的特性にも外的要因にも還元しえず、身体を具えたかれらと環境との共働や交流にこそ成立する。一方、制作された作品が既存の社会関係や実践を予想外の方向へ導くこともある。作品はいったん出来上がると環境の一部となり、制作者本人を含む行為者たちに新たな行為の可能性を提供する。作品を介してもたらされた世界との新しい関係は、制作者自身の自己関係へと還流し、後続する制作のための新しい土台ともなる。本論では、こうした障害者美術学校における絵画制作活動を事例に、制作から作品の働き、その生への接合までを一連の出来事として捉えなおすことで、従来の芸術人類学で支配的だった表象主義を真に克服する「芸術のエコロジー」をめざす。