著者
中谷 和人
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.74, no.2, pp.215-237, 2009-09-30

1980年代の半ば以降、「芸術」や「芸術作品」という現象やモノをいかに論じるかは、人類学にとって最も大きな課題の一つになっている。従来の議論では、しばしば美術界やその制度的・イデオロギー的なシステム(「芸術=文化システム」)への批判、あるいはそれに対抗するかたちでの文化の差異の生産や構築に焦点が当てられてきた。だがその視角は、「異議申し立て」や「交渉」を行なう自律的な主体の存在が前提とされている。一方アルフレッド・ジェルは、「芸術的状況」や「芸術作品」を美術制度との関わりによっては規定しない。ジェルにとってそれらの存在を証明するのはモノとエージェンシーを介して生じる社会関係であり、またその関係は「エージェントのバイオグラフィカルな生の計画」へと結び付けられねばならない。本論文は、現代日本において障害のある人びとの芸術活動を進める二つの施設を事例に、その対外的な取り組みと実践の状況を検討する。一方の施設は、「アール・ブリュット/アウトサイダー・アート」という美術界の言説を逆手にとって利用することで自らの目的を達成しようとする。またもう一方では、こうした美術界の一方向的なまなざしから距離をおき、自らの「アート」を自らで決定しようと試みる。本論では、各施設が展開する戦略と運動を跡づけるとともに、活動現場での相互行為や社会関係がいかに多様な創作・表現(物)を生みだしているか、またそれら「芸術(アート)」の多元的な意味が当事者の生の文脈とどのように接合しているかを解明する。
著者
中谷 和人
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.74, no.2, pp.215-237, 2009-09-30 (Released:2017-08-18)
被引用文献数
2

1980年代の半ば以降、「芸術」や「芸術作品」という現象やモノをいかに論じるかは、人類学にとって最も大きな課題の一つになっている。従来の議論では、しばしば美術界やその制度的・イデオロギー的なシステム(「芸術=文化システム」)への批判、あるいはそれに対抗するかたちでの文化の差異の生産や構築に焦点が当てられてきた。だがその視角は、「異議申し立て」や「交渉」を行なう自律的な主体の存在が前提とされている。一方アルフレッド・ジェルは、「芸術的状況」や「芸術作品」を美術制度との関わりによっては規定しない。ジェルにとってそれらの存在を証明するのはモノとエージェンシーを介して生じる社会関係であり、またその関係は「エージェントのバイオグラフィカルな生の計画」へと結び付けられねばならない。本論文は、現代日本において障害のある人びとの芸術活動を進める二つの施設を事例に、その対外的な取り組みと実践の状況を検討する。一方の施設は、「アール・ブリュット/アウトサイダー・アート」という美術界の言説を逆手にとって利用することで自らの目的を達成しようとする。またもう一方では、こうした美術界の一方向的なまなざしから距離をおき、自らの「アート」を自らで決定しようと試みる。本論では、各施設が展開する戦略と運動を跡づけるとともに、活動現場での相互行為や社会関係がいかに多様な創作・表現(物)を生みだしているか、またそれら「芸術(アート)」の多元的な意味が当事者の生の文脈とどのように接合しているかを解明する。
著者
中谷 和人
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.81, no.3, pp.431-449, 2016 (Released:2018-02-23)
参考文献数
40
被引用文献数
3

ミシェル・フーコーの生権力(生政治)論は、我々の生をとりまく今日の社会政治的布置を批判的に記述・分析するための有効な視座を提供してきた。しかし他方で、フーコー自身は、生がそうした特定の権力布置から絶えず「逃れ去る」ものであることも鋭く指摘していた。本論ではこの指摘を踏まえつつ、デンマークの障害者美術学校「虹の橋」に所属していた一人の男性生徒のドローイングに焦点をあて、その「線を描く」という営みが、いかに現在支配的なそれとは異なった生存の仕方(生き方)を可能とするかを追究していく。1980年代以降デンマークで進められてきた脱施設化の過程は、決して障害者の単なる「自由解放」ではなかった。むしろ、その延長線上に近年実施されたある全国プロジェクトの例から浮き彫りになるのは、かれらの自己決定や参加を、いかに 客観的で標準化された形式のもとで監視し、コントロールするかという問題である。そしてそのさいに活用される方法こそ、「監査」と呼ばれる新しい統治技法にほかならない。だが、自己と他者の統治、そして自らの生の形式化は、必ずしも監査の実践を通じてのみなされうるわけではない。そこで取り上げるのが、虹の橋に長年在籍しつつも、2012年に急逝したセアンという男性の事例である。先在する経験の模倣や再現ではなく、むしろ、その真の「所有」を通じて自己自身の変容へと向かうセアンの線描画制作、そしてその作品の中にたどられた「物語」に随うという他者の営みがつくりあげてきたのは、監査におけるそれとは根本から異なった、美学的でかつ倫理学的な自己の自己自身に対する関係、自己と他者のあいだの関係である。本論ではこれを、プロジェクトで作成される「図」と、セアンが描く「作品」との比較を通じて明らかにすることで、今日支配的な社会政治的布置の内部で「線」が切り開く生の新たな可能性について探究する。
著者
三原 芳秋 松嶋 健 花田 里欧子 岡本 雅史 高田 明 太田 貴大 鵜戸 聡 比嘉 理麻 高梨 克也 中川 奈津子 中谷 和人 アンドレア デアントーニ 赤嶺 宏介 川上 夏林
出版者
一橋大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2015-04-01

「(人間)主体」の諸機能=学科を軸に制度化されてきた人文学を「生きている存在」一般の学として再編成する(=「生態学的転回」)ために、多様な専門の若手研究者が集い、「共同フィールドワーク」や芸術制作・コミュニティ運動の〈現場〉とのダイアロジカルな共同作業を通して従来型ではない「共同研究」の〈かたち〉を案出することが実践的に試みられ、その〈プロセス〉は確固たる端緒を開くに至った。また、環境・社会・精神のエコロジーを美的に統合する「エコゾフィー」的思考を共有する基盤となるべき「新たな〈一般教養〉」構築を文学理論の「生態学的転回」を軸に試みる企図も、国際的・学際的に一定の承認を得ることができた。
著者
中谷 和人
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.77, no.4, pp.544-565, 2013-03-31

芸術人類学にとって目下最重要の課題は「表象主義」の克服にある。ここでいう表象主義とは、芸術に関する諸問題を何であれ世界の「再現/表象」の問題に還元して理解する立場を指す。相対主義にせよ構築主義にせよ、従来の視点の多くがこの立場を共有してきた。だが表象主義は、外的世界と内的世界の二項対立を前提とするがゆえに、究極的には芸術の営みを私たちが生きるこの世界から排除し、いわば神秘化することへとつながる。知覚心理学者ギブソンを嗜矢とする生態学的なアプローチは、こうした表象主義とそれが依拠する二元論を乗りこえるための一方策となりうる。人間と環境の相互依存性を原則とする彼の視角は、メルロ=ポンティの現象学的身体論や絵画論にも通底する。またこの視角が含意するプラグマティックな存在論は、ジェルの芸術論とも基本的な考えを共有する。これをふまえ、本論ではデンマークの障害者美術学校における知的な障害のある人たちの絵画制作活動を検討する。活動現場で注目すべきは、一見謎めいた生徒たちの制作が、実際にはその周囲の事物との緊密なかかわりあいのなかで実現している点である。制作に関わる技能や動機づけは、その内的特性にも外的要因にも還元しえず、身体を具えたかれらと環境との共働や交流にこそ成立する。一方、制作された作品が既存の社会関係や実践を予想外の方向へ導くこともある。作品はいったん出来上がると環境の一部となり、制作者本人を含む行為者たちに新たな行為の可能性を提供する。作品を介してもたらされた世界との新しい関係は、制作者自身の自己関係へと還流し、後続する制作のための新しい土台ともなる。本論では、こうした障害者美術学校における絵画制作活動を事例に、制作から作品の働き、その生への接合までを一連の出来事として捉えなおすことで、従来の芸術人類学で支配的だった表象主義を真に克服する「芸術のエコロジー」をめざす。