- 著者
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右田 裕規
- 出版者
- 社会経済史学会
- 雑誌
- 社会経済史学 (ISSN:00380113)
- 巻号頁・発行日
- vol.79, no.1, pp.101-116, 2013
近代日本社会に現前した祝祭商品の氾濫という事態はどのような歴史社会的意義を含んだ現象だったと考えられるか。とりわけその消費者であった同時代の人びとの集合的経験・意味づけに即したとき,それはどのような社会的要素から生まれ,またどのような社会的作用を及ぼした現象であったと解釈できるか。本稿では,この問いについて昭和大礼を具体的事例にとりあげつつ再検討することが目指される。本稿の指摘は主に次の3点にまとめられる。第1に,祝祭商品への社会的需要は多くの場合,人びとの愛国的な動機(祝祭参加,奉祝への欲望)からではなく,消費をめぐる世俗で私的な欲望から生成されていたこと。第2に,祝祭商品に付された天皇家の表象は多くの場合,消費への耽溺を正統づける記号として社会的に解釈され作用していたこと。第3に,同時代の多くの人びとにとって祝祭商品の氾濫は消費をめぐる私的な欲望が一時的に正統づけられ解放される契機として体験されていたこと。この3点を指摘することで,従来のナショナリズム論的な解釈とは異なる,祝祭商品の史的意義についての文化論的な解釈が提起される。