著者
右田 裕規
出版者
京都大学
雑誌
京都社会学年報 : KJS
巻号頁・発行日
vol.9, pp.93-114, 2001-12-25

The fact that the pictures of the Imperial family of Japan were called "goshin-ei", and were treated as the icons of the religious observance at schools in modern Japan was pointed out by a lot of preceding studies on the "goshin-ei". According to these precedent studies, on festival days of the Imperial family, school students at the prewar days were made to worship pictures of the Imperial family that Japanese government sent to many schools, and through these religious observances at schools, the government succeeded in cultivating the respects for the Imperial family in Japanese people. By the way, many pictures and portraits of the Imperial family of Japan were sold by private merchants, and were printed in newspapers and magazines frequently at prewar days. But preceding studies on the "goshin-ei" treated the pictures of the Imperial family that the government sent to schools exclusively, and didn't refer to the pictures and portraits of the Imperial family sold or distributed by private merchants and the mass media. The purposes of this paper are to elucidate the activities of the Japanese government, the mass media and people around gravures of the Imperial family of Japan in newspapers and magazines at prewar times, and to make clear the mentalities to the Imperial family that these gravures cultivated in Japanese people.
著者
右田 裕規
出版者
社会学研究会
雑誌
ソシオロジ (ISSN:05841380)
巻号頁・発行日
vol.47, no.2, pp.37-53,178, 2002-10-31 (Released:2016-05-25)

The modern Japanese emperor system have been regarded as a structure that was maintained by government policy in the earlier studies.Consequently, these studies underestimate the mass media's function in the emperor system and ignore the mass media's autonomy in the face of the government's attempts to rule people through the 'kokutai ideology' that regards the emperor as a god. Howaver,in reality the prewar mass media's report of the imperial family had a great influence on the populace's views of them.The content of this report was highly secular, with pictures and articles reporting the friendly figures of the imperial household and their private lives,and was opposed to the government's attempt to rule people through the 'kokutai ideology'. The purpose of this paper is to elucidate the ways in which the modern Japanese mass media, in the process of its own commercialization and Japan's modernization, counteracted the government's attempt to build an absolute monarchy.I also seek to revalue the peculiar function of the mass media in the prewar emperor system by presenting research on the process whereby the mass media created the 'popular emperor system' by reporting secular information on the imperial family in response to popular need.
著者
右田 裕規
出版者
社会経済史学会
雑誌
社会経済史学 (ISSN:00380113)
巻号頁・発行日
vol.79, no.1, pp.101-116, 2013

近代日本社会に現前した祝祭商品の氾濫という事態はどのような歴史社会的意義を含んだ現象だったと考えられるか。とりわけその消費者であった同時代の人びとの集合的経験・意味づけに即したとき,それはどのような社会的要素から生まれ,またどのような社会的作用を及ぼした現象であったと解釈できるか。本稿では,この問いについて昭和大礼を具体的事例にとりあげつつ再検討することが目指される。本稿の指摘は主に次の3点にまとめられる。第1に,祝祭商品への社会的需要は多くの場合,人びとの愛国的な動機(祝祭参加,奉祝への欲望)からではなく,消費をめぐる世俗で私的な欲望から生成されていたこと。第2に,祝祭商品に付された天皇家の表象は多くの場合,消費への耽溺を正統づける記号として社会的に解釈され作用していたこと。第3に,同時代の多くの人びとにとって祝祭商品の氾濫は消費をめぐる私的な欲望が一時的に正統づけられ解放される契機として体験されていたこと。この3点を指摘することで,従来のナショナリズム論的な解釈とは異なる,祝祭商品の史的意義についての文化論的な解釈が提起される。
著者
右田 裕規
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.55, no.2, pp.129-145, 2004

本論文の目的は, 戦前期女性の皇室観の分析を通じ, 民衆の生活世界に根ざしつつ, 近代天皇制と「女性」の関係を捉え直すことにある.アプローチしたのは, 1900-10年代以降の女性に広く現れた, 「スターとしての皇室」への強い憧憬・関心という心性である.本論文ではこの心性につき, 男性の皇室観と比較しつつ, 歴史社会学的な考察が加えられる.具体的にはまず, 戦前期女性の上記の心性が, 近代天皇制の大衆化を推進していった過程を概観することで, 彼女らが天皇制の質的変容をもたらしたことが示される.さらに上記の心性形成の諸要因の解明を通じ, 戦前期大衆天皇制の形成と日本の近代化過程との関係性が, ジェンダー論的視座から提示されるとともに, 家父長制と天皇制の間に対立のモメントの存在した事実が明らかにされる.
著者
右田 裕規
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.55, no.2, pp.129-145, 2004-10-25 (Released:2010-04-23)
参考文献数
33

本論文の目的は, 戦前期女性の皇室観の分析を通じ, 民衆の生活世界に根ざしつつ, 近代天皇制と「女性」の関係を捉え直すことにある.アプローチしたのは, 1900-10年代以降の女性に広く現れた, 「スターとしての皇室」への強い憧憬・関心という心性である.本論文ではこの心性につき, 男性の皇室観と比較しつつ, 歴史社会学的な考察が加えられる.具体的にはまず, 戦前期女性の上記の心性が, 近代天皇制の大衆化を推進していった過程を概観することで, 彼女らが天皇制の質的変容をもたらしたことが示される.さらに上記の心性形成の諸要因の解明を通じ, 戦前期大衆天皇制の形成と日本の近代化過程との関係性が, ジェンダー論的視座から提示されるとともに, 家父長制と天皇制の間に対立のモメントの存在した事実が明らかにされる.
著者
右田 裕規
出版者
京都大学文学部社会学研究室
雑誌
京都社会学年報 : KJS = Kyoto journal of sociology
巻号頁・発行日
vol.9, pp.93-114, 2001-12-25

The fact that the pictures of the Imperial family of Japan were called "goshin-ei", and were treated as the icons of the religious observance at schools in modern Japan was pointed out by a lot of preceding studies on the "goshin-ei". According to these precedent studies, on festival days of the Imperial family, school students at the prewar days were made to worship pictures of the Imperial family that Japanese government sent to many schools, and through these religious observances at schools, the government succeeded in cultivating the respects for the Imperial family in Japanese people. By the way, many pictures and portraits of the Imperial family of Japan were sold by private merchants, and were printed in newspapers and magazines frequently at prewar days. But preceding studies on the "goshin-ei" treated the pictures of the Imperial family that the government sent to schools exclusively, and didn't refer to the pictures and portraits of the Imperial family sold or distributed by private merchants and the mass media. The purposes of this paper are to elucidate the activities of the Japanese government, the mass media and people around gravures of the Imperial family of Japan in newspapers and magazines at prewar times, and to make clear the mentalities to the Imperial family that these gravures cultivated in Japanese people.
著者
右田 裕規
出版者
公益財団法人 史学会
雑誌
史学雑誌 (ISSN:00182478)
巻号頁・発行日
vol.126, no.9, pp.41-63, 2017

一九世紀後半から二〇世紀初期の君主制国家では、王室の祝祭を記念するための商品が大量に売買されていた。多種多様な商品が祝祭の記念品として流通し、厖大な人口がそれらに群がる光景が日本を含めて一様に拡がっていた。内外の君主制ナショナリズム研究の一部、とりわけ「伝統の発明」論を理論的枠組みとした研究群の解釈では、一連の祝祭記念商品は歴代君主の事蹟を中心とした国民的記憶を持続的に保持・想起させる重要な媒体として社会的に作用したとされる。しかしながら近代都市消費文化についての諸知見に従うと、世紀転換期の大量生産流通機構の成立が都市世界で生成した知覚と欲望の様式は、伝統性や持続性とは対称的な質を含みこんでいた。つまり近代的な経済技術機構が都市居住者たちに惹起したのは、過去ではなく新奇さや現在性を価値づける反-伝統的な態度、新しい商品を次々に欲望・忘却する反-持続的な態度であった。本稿では、この知見を参照項としつつ、大正・昭和初期の日本社会とりわけ都市世界での祝祭記念商品の売買様式の相貌について検討する。呈示するのは次の二点である。第一に、同時代の都市住民たちは祝祭時の記念商品群を(当該の祝祭の時事的新奇性と結びついた)ある種の「流行品」としてしばしば解読・欲望していたこと。第二に、都市購買層の間では一連の記念商品を短期的に消費・処分する傾向が見られたことである。この二点から、祝祭記念商品という媒体が(君主一族の事蹟で枠づけられた)国民的記憶の編成運動に対して含んだ反作用的な契機が本稿では指摘される。いいかえると、祝祭記念商品の大量生産・流通という史的場面から、産業資本主義と君主制ナショナリズムの協同的契機を一義的に読みとる一部研究の解釈図式の問題性が、都市世界での記念品売買の相貌に即して析出される。
著者
右田 裕規
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.66, no.3, pp.379-394, 2015 (Released:2017-03-08)
参考文献数
61

近代君主制国家の人びとは, 産業資本制と結びつきスペクタクル化した君主の祝祭をどのように眺め欲望していたか. またその視的経験は, かれらのナショナル・アイデンティティ形成とどのようにかかわりあっていたか. 本稿では, 20世紀初期の日本社会を事例にしつつ, この問いについて社会学的に応答することが目指される. つまり君主の祝祭のスペクタクル化という史的事態がネイション編成とどう関連しあっていたのかが, 同時代人たちの視覚経験から再考される.あきらかにされるのは次の2点である. 第1に, 君主のスペクタクルの見物者たちを特徴づけたのは, 祝祭の景観を刹那的かつ量的に眺め欲望する知覚様式であったこと. 第2に, 資本制に照応したこの知覚様式の拡がりから, 君主のスペクタクルを構成する表象群の ‹国民的› な意味作用が失効する事態が生成されていたことである. 本稿では, この2点をつまびらかにすることで, 君主の祝祭をスペクタクル化する経済主体の運動が君主制ナショナリズム編成に対して含んだ反作用的な契機と機制が呈示される.