- 著者
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麻田 貞雄
- 出版者
- 同志社法學會
- 雑誌
- 同志社法学 (ISSN:03877612)
- 巻号頁・発行日
- vol.63, no.3, pp.1737-1755, 2011-09
講演(Lecture)加藤友三郎海相はワシントン会議において対米妥協の軍縮を決断した。しかし一九二三年、加藤の没後は、強硬派が力を得るようになり、一九三四年には政府はワシントン条約の破棄を決定する。これに抗する形で、かつて加藤の軍縮政策を支持した人々が、その遺徳を讃えて銅像を建立した。しかし、「第二の加藤出でよ」の悲願もむなしく、海軍は「真珠湾への道」を突っ走ることになる。近年、加藤は再評価され、二〇〇八年に再建された銅像では、加藤を「軍縮の父」としてだけではなく、「平和・国際協力」のシンボルと位置づけている。In August 2008 a ceremony was held in Hiroshima (his birth place) to dedicate the statue of Admiral Kato Tomosaburo. This was the second Kato statue; the first one had been built in 1935. Studying these statues casts interesting light on Japan's changing views on national defense.