著者
片岡 千賀之 亀田 和彦
出版者
長崎大学
雑誌
長崎大學水産學部研究報告 (ISSN:05471427)
巻号頁・発行日
vol.95, pp.1-27, 2014-03

かつて「あぐり王国」と称された長崎県のまき網漁業,とくに沿岸まき網漁業の展開過程を主産地の野母崎地区を事例に検証した。対象時期は,漁船動力化が本格化する昭和恐慌期から大きな盛衰を経て小康状態に至る昭和40年代・50年代までとした。(1) 動力化以前のまき網漁業 野母崎地区にイワシ揚繰網,巾着網が導入されたのは明治30年代で,縫切網に代わってイワシ漁業の中心漁法となった。明治末から大正初期にかけてカツオ漁業及びカツオ節製造が衰退すると,イワシ漁業は同地区の主幹漁業となり,大正期に煮干しが大衆に広まってイワシ加工も盛んとなった。同じ野母崎地区でも村によって対応が分かれ,野母村はカツオ漁業からイワシ漁業への転換があり,脇岬村はカツオ漁業がサンゴ採捕に転換してイワシ漁業の発達が遅れた。樺島村は外来船が水揚げするイワシを使った目刺し加工に特化し,製品は汽船で大阪方面に販売された。イワシ加工は家庭内副業から専業経営が台頭してきた。第一次大戦後にまき網経営が悪化すると,大正末に長崎県水産試験場が漁船の動力化,電気集魚灯の利用,網地のコールタール染めを試み,省力化,生産性の向上を図った。

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