著者
田中 貴子
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.51, no.7, pp.37-43, 2002-07-10

安徳天皇が女性ではなかったか、という噂は、江戸時代の随筆などではかなり見受けることができ、安徳が実は壇ノ浦では死なず、薩摩や摂津の山中などへ逃げ延びたという伝説とともに、人口に膾炙していたようである。その理由として、『平家物語』「公卿揃」で、安徳生誕の折り、甑を間違って落としてしまった、という逸話が挙げられることが多い。たしかに安徳は、建礼門院のいわゆる「地獄めぐり」で、法華経による救済を望んでいたし、『愚管抄』では女神である厳島明神の化身だとされていた。これらの例を見ると、史実はともかく、海の底へ「帰っていった」安徳が童子であったがゆえに八歳で成道した海龍王の娘と重ね合わされていたことは明らかであろう。

言及状況

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田中貴子氏の論文でもそれは触れられている。ただ「変成男子の法」とは何かということに俺は疑問がある。 https://t.co/72n2cSLDxZ
論文はこれね。読めばわかるけど、結論としては「彼は童子という男女の性の混沌とした存在であったのではないかと考えたいのである」とある。 https://t.co/72n2cSLDxZ
CiNii 論文 -  安徳天皇女性説の背景 : 女と子供の成仏をめぐって(<特集>中世における子ども) https://t.co/TlbReUNMlX
【資料】CiNiiに、田中貴子氏の論文「安徳天皇女性説の背景 : 女と子供の成仏をめぐって」(日本文学 51(7) 2002/7/10)がpdfで公開されています。興味のある方はぜひ https://t.co/p4ETBkba3E

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