著者
藤崎 康
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶応義塾大学日吉紀要 フランス語フランス文学 (ISSN:09117199)
巻号頁・発行日
no.36, pp.108-54, 2003

核時代の使徒ーJ・G六徒ラバ1ウドロ『ヴィーナスの狩人』を読むー藤崎 康どうして私の人生を、そうでないかもしれないではなく、けずにいられたでしょうか?そうかもしれないほうにこそ賭ルネ・ドーマル『類推の山』1聖性のゆくえ、あるいはフエイクな神? フランケンシュタイン神話は、科学的合理主義に対抗して、科学の諸概念を、錬金 術の神秘や感情と再結合しようとした、十九世紀のロマン主義的反抗に由来する。 デイヴィッド・J・スカル『マッド・サイエンティストの夢-理性のきしみ』 英国のSF作家J・G・バラードに、『ヴィーナスの狩人』(一九六七年)という、ちょっと類を見ないよう伽 な傑作がある。この短編がとてつもなく面白いのは、バラードが科学と魔術の、あるいは合理と非合理の対決㎜ ・ん を、SFや幻想小説や文明批評の手法をもちいながらも、そうした手法ないし意匠に淫することなく、むしろ107(28)登場人物の心理や意識のひだを精妙に描くことで、きわめてユニークな物語に仕あげているからだ。バラードはこの作品でまた、近代合理主義(理性信仰)という、今やさまざまな揺らぎやほころびを見せているものの、依然として私たちの生活を律している「教義」i一八世紀の西欧で確立した啓蒙思想、すなわち「理性の光」ですべてを吟味しようとする知的態度の延長上にあるーが支配する現代にあって、人知をこえた「聖なるもの」はいったいどんな場所に降りてくるのか、という重大な問いを投げかけている。 ここで、『ヴィーナスの狩人」の読解にはいるまえに、近・現代とはいかなる時代なのかを、おおまかに輪郭づけてみよう。1近代化にともなう都市化、高度な産業化、科学技術の飛躍的な発展、市場経済の圧倒的な拡大、そして大衆消費社会の到来によって、教養、芸術、観光、民俗、健康、エコロジー、美容、セックス、「癒し」等々、文化や肉体にかかわる一切が商品化され、情報化され、日常生活の利便性や快適さがめざましく増大するいっぽうで、地縁、血縁などの旧来の共同体が無残に掘り崩され、核家族化が進行し、伝統的な文 リサイクル化・芸能・芸術が衰退する(それらはキッチュー1まがいものとして再利用される)といった状況を生んだ。 ミ イズム また人びとは、他人への関心や共感力を極端に欠いた自分主義ーそれは「自分探し」「自分らしさ」といっ こまた気味の悪い言葉を生んだーに閉じこもり、濃やかな人間関係を避けるようになった。そしてかれらは、そ よ エ ト スれまで拠りどころにしていた生活規範や行動様式を手放し、いわば「自由」を獲得した代償として、寄る辺なさ、精神的空白にとらわれるようになったー。ごく粗雑にまとめれば、近・現代とは、そういった時代である。(↓それはまた、近代化目工業化のはてに世界が「脱魔術化」され(M・ウェーバー)、宗教が世俗化され、いきおい「聖なるもの」や「崇高さ」が見失われた時代1しかし同時に、非合理的な呪術や終末予言を売りものにする新種の宗教が、あるいはカリスマ待望や過剰なナショナリズムが、合理主義の影の部分に寄生する奇妙な時代でもある。へ,) もちろん、近代化の負の側面は、いまざつと触れたいくつかの間題にとどまらない。たとえば大量生産.大量消費は大量廃棄を生み、排気ガスによる地球温暖化、異常気象、熱帯雨林の破壊と砂漠化といった事態を生じさせた。そして今日の科学主義は、生命創造という「神の領域」さえ侵犯しよ

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