- 著者
-
内田 良
- 出版者
- 愛知教育大学教育実践総合センター
- 雑誌
- 愛知教育大学教育実践総合センタ-紀要 (ISSN:13442597)
- 巻号頁・発行日
- no.11, pp.263-269, 2008-02
本稿の目的は,児童虐待防止の前提となっているいくつかの知識を批判的に捉えなおすことをとおして,虐待問題の今日的な性格を明らかにすることである。これは,「虐待」という行為がいかなる社会的・文化的状況下において,「回避すべき問題」とみなされているのかを見極める作業となる。今日の虐待防止活動を支える代表的な視座に,「子どもの権利擁護」「子育て支援」「心理学」の3つがある。虐待は,一枚岩的に「悪」として論じられているのではない。上記にあげるような複数の視座のもとで,それぞれに特有の問題化がなされている。虐待について考察する際には,これら3つの視座を十分に意識することが重要である。ところで「虐待」とはそもそもなぜ問題なのか。この問いを考えるために,まず「虐待」ではなく,「暴力」・「放置」という表現を用いたい。「虐待」には,「回避すべき」という意味が強く含まれているため,実態ベースの議論が難しくなるからである。客観的な行為に注目した「暴力」・「放置」の視点から子どもの養育・教育をながめると,虐待問題における「安全と危険のパラドクス」を見出すことができる。「安全と危険のパラドクス」とは,安全が当たり前になるほど危険が目立っていく事態を指す。すなわち,しつけの基準が高まり暴力・放置がおこなわれなくなってきた安全な今日において,子どもへの暴力・放置が危険なものとして顕在化するのである このように考えると,虐待は「子どもへの人権侵害だ」(子どもの権利擁護の視座),「子どもの心の成長を妨げる」(心理学の視座),「都市化・核家族化によって起こる」(子育て支援の視座)という説明は,すぐれて現代的で都市的な解釈のもとに提起されたものであることがわかる。虐待防止活動は,現代においてこそ虐待の危機が高まっていると説明する。またそれと連動して,根拠もないままに虐待の増加が叫ばれることもある。だが,暴力・放置は増加していなくてもよいし,都市化による一種の文明病である必要もない。虐待を考えるうえで重要なのは,冷静に暴力・放置の行為を見極め,暴力・放置の原因や問題点を追究することである。学校現場と虐待問題との距離が急速に近づいている今日,教育に携わる者には,暴力・放置防止への熱き思いと冷静な判断力が求められている。