- 著者
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長谷川 健治
- 出版者
- 横浜国立大学留学生センター
- 雑誌
- 横浜国立大学留学生センター教育研究論集 (ISSN:18810632)
- 巻号頁・発行日
- no.16, pp.117-134, 2009
1956年の砂川基地拡張反対運動は、前年の6全協による共産党の武装闘争方針の放棄で50年代前半の共産党系の運動スタイルが破綻した後、この時代と縁を切った新しい大衆性をもった抗議運動の発端と見られることが多い。確かに、1956年の抗議運動は山村工作隊と火炎瓶闘争に象徴される朝鮮戦争期のそれとは大きく異なる面が多かった。しかし、1950年代前半の「古い」運動スタイルは単に過去に葬られたわけではなく、原水禁運動に象徴された「新しい」大衆的なスタイルは無条件に採用されたわけでもなかった。本稿は日本共産党と総評の「55年体制」がいかに全学連を砂川に導きいれたかに焦点をあてる。具体的に、日本共産党の6全協が学生活動家に与えた影響、当時反基地運動に活発に関わっていた清水幾太郎の役割、砂川における学生の抗議スタイル等を分析するころによって、1956年、砂川において、1950年代前半の「失われた5年間」がいかに再生・再構築されたかを辿っていく。