著者
久水 俊和
出版者
明治大学大学院文学研究科
雑誌
文化継承学論集
巻号頁・発行日
no.5, pp.96-83, 2008

本稿では、後世にマニュアルとして機能する「凶事記」の蓄積状況と作成過程を室町後期の例を用い考察した。その素材として、中世を通して内容が豊富である東坊城和長の『明応凶事記』を用いた。『明応凶事記』は、明応九年(一五〇〇)に行われた後土御門天皇の葬儀を記録したものであり、近臣であった和長が一連の葬送儀礼に関わったこともあり、残存している室町期の天皇葬儀の史料と比し、巨細に記録されている。しかし、近臣といえども中世の天皇葬儀において、すべての葬送儀礼を見分することは極めて難しかった。それは、天皇家の菩提寺である泉涌寺を筆頭とした僧衆や宮中の内々な儀礼を取り仕切る女房衆による密儀が多いためである。

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