著者
久水 俊和
出版者
明治大学大学院文学研究科
雑誌
文化継承学論集
巻号頁・発行日
no.5, pp.96-83, 2008

本稿では、後世にマニュアルとして機能する「凶事記」の蓄積状況と作成過程を室町後期の例を用い考察した。その素材として、中世を通して内容が豊富である東坊城和長の『明応凶事記』を用いた。『明応凶事記』は、明応九年(一五〇〇)に行われた後土御門天皇の葬儀を記録したものであり、近臣であった和長が一連の葬送儀礼に関わったこともあり、残存している室町期の天皇葬儀の史料と比し、巨細に記録されている。しかし、近臣といえども中世の天皇葬儀において、すべての葬送儀礼を見分することは極めて難しかった。それは、天皇家の菩提寺である泉涌寺を筆頭とした僧衆や宮中の内々な儀礼を取り仕切る女房衆による密儀が多いためである。
著者
久水 俊和
出版者
明治大学大学院
雑誌
文学研究論集 (ISSN:13409174)
巻号頁・発行日
no.30, pp.383-400, 2008

中世から近世における天皇の即位礼費用の多くは、幕府(戦国期は戦国大名の献金)が請け負う事例が多い。しかし、公家方へ進納された即位用途の「消化」状況は、時代により様々である。特に、室町期においては、各参仕者へ個別に下行する複雑な支出構造が構築されていた。ところが、江戸期になると、徐々に整理されていき、費用を一括に下行するすっきりとした支出構造へと転化する。そこで、本稿では、中世の煩瑣な「室町期型」支出構造から整理された「江戸期型」支出構造への転換過程の考察と、近世の下行方式の実態の解明を試みた。まず、戦国期から織豊期にかけては、出納平田家が蔵人方の窓口的役割として台頭し、官方においては官務家が窓口として機能するようになる。
著者
久水 俊和
出版者
明治大学博物館
雑誌
明治大学博物館研究報告 (ISSN:13420941)
巻号頁・発行日
no.14, pp.1-10, 2009-03

明治大学博物館には、祭主(伊勢神宮の神職の長)藤波家伝来の文書として「藤波家文書」二二点が所蔵されている。その内「書状の部」として、中世を中心とした文書群一四点が所収されている。しかし、藤波家に直接関係していると思われる文書は僅かであり、その大部分は公家である広橋家に関する文書である。その内容は、中世においては形式的に受け継がれている律令制・太政官制の流れをくむ公文書が多く、特に年給(皇族・后妃・公卿などに毎年与えられた年官と年爵)関連の史料が目立つ。その他にも、広橋家々領の相続に関する置文や、藤波家が蒙った勅勘に関する嘆願書など、歴史学的にも重要な第一級史料も所収されている。