著者
山田 祥子
出版者
北海道大学大学院文学研究科北方研究教育センター = Center for Northern Humanities, Graduate School of Letters, Hokkaido University
雑誌
北方人文研究 (ISSN:1882773X)
巻号頁・発行日
no.3, pp.59-75, 2010-03

本稿は、サハリンの先住民族ウイルタをめぐる言語接触についての予備的考察をとおして、この地域の歴史研究における言語学的アプローチの意義と可能性を提示することを目的とするものである。ウイルタ語は、ツングース諸語の一つとして系統的にはアムール川下流域に分布する言語に近いとされているが、少なくとも300年の間サハリン島北部から中部の地域で話され、系統の異なるニヴフ語やアイヌ語と接触してきた。19世紀以降の民族誌によれば、ウイルタの北のグループとニヴフが隣接し、20世紀初頭には両者が互いの言語を習得した。一方、ウイルタの南のグループは民族間の共通語としてアイヌ語を習得したと推測される。このように、ウイルタ・ニヴフ・アイヌとの間では、複雑な多言語社会が形成されたと見られるが、その実態と相互影響は必ずしも明らかではない。19世紀半ば、沿海地方からサハリン北部に少数のエヴェンキが移住した。彼らがトナカイ飼育という共通の生業を持っていたこと、および彼らの文化的な先進性を背景として、二つの民族は急速に接近した。その結果、エヴェンキ語は短期間でウイルタ語に影響を及ぼした。その影響は、今日のウイルタ語北方言についてすでに指摘されている。20世紀に入り、ウイルタの北のグループはソ連の、南のグループは日本の支配下に置かれた。それぞれで民族同化政策が本格化し、言語教育によって北でロシア語、南で日本語の習得が進んだ。そして戦後、両方のグループで急速にロシア化が進んだ結果、日常の使用言語をウイルタ語からロシア語に置き換える言語交替が本格化し、今日に至ってはウイルタ語を話せる人がごくわずかしか残っていない。以上に挙げた諸言語の影響をウイルタ語のなかに見出すことにより、これらの言語ないし民族の相互関係の歴史にアプローチすることが可能となる。その際、北と南に分かれるウイルタの方言差を意識することが重要と考えられる。そのためには、今日話されるウイルタ語の特徴をできる限り記述し、近隣の言語との比較研究へと応用していくことが期待される。

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