- 著者
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鎌田 道隆
- 出版者
- 奈良大学史学会
- 雑誌
- 奈良史学 (ISSN:02894874)
- 巻号頁・発行日
- vol.6, pp.1-28, 1988-12
私たちは近代社会で生活し、近代的価値観のなかにどっぷりとつかった日常を生きている。近代的価値観とは何だろう。進歩、発展、早さ、便利、合理的等々の概念もそれである。近代人なら誰でもが賛意を表する価値意識、それを近代的価値観とよんでよいだろう。もちろん、近代的価値観はもともと人間的な規模と尺度に準拠していたはずであるが、むしろ今日では非人間的な機械的価値の面が強くなってしまったように思える。そして、その人間味を失った近代的価値観を、私たちは無批判に受け入れてしまってはいないだろうか。歴史学の研究にあたって、形骸化された価値観をもってさまざまな分析や評価を行なったりしてはいないだろうか。近世都市の研究の分野でも、経済的な発展や合理的な都市運営のしくみなどに着目し、どれだけ近代都市へ近づいたかといった視点のみにとらわれてはいなかっただろうか。ひとつの便利さを手に入れるために何を失ったのか。一見非合理的に見える昔の人々の生き方のなかに、どのような智恵や工夫や願いがこめられていたのか。形骸化された近代的な物指しで歴史研究をすすめるのではなく、歴史のなかに本来の人間を発見する作業も現在の歴史学には必要なことではあるまいか。現代の大阪に関する評価は、新聞の投書や論評などをみていても決して芳しくはない。開発が産業中心に行なわれ、人間的文化的な視点が弱いということになるのかもしれないが、江戸時代の大坂についてみるならば、相当に魅力的な都市である。大坂には近世の都市としての魅力がみなぎっており、都市の個性としても充分なものをもっているかに見える。近世都市大坂について、近代大阪にどれだけ近づいたかという視点ではなく、都市大坂のなかに人間性がどのように定着しているか、大坂がいかに人間を大切にする都市であったかを追跡してみたい。しかし、これは一つの試論にすぎない。とりあえず、江戸時代の人は大坂をどのように見ていたかということから、はじめに外国人の大坂観をみる。つぎに日本国内では大坂はどのように紹介されていたか、また旅人は大坂のどこに魅力を発見していたかを考察する。さらに大坂が近郷近在との深い交流のなかで都市問題に折り合いをつけながら、「大」大坂を成立させてくる過程をみていくこととする。