- 著者
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野間 万里子
- 出版者
- 富民協会
- 雑誌
- 農林業問題研究 (ISSN:03888525)
- 巻号頁・発行日
- vol.46, no.1, pp.23-32, 2010-06
文明開化期の牛鍋ブームの中、肉食は、薬食という建前の下許されるものからおおっぴらに楽しむことができるものへと変化した。「肉食はけがれるものとおぼへまして、とんと用ひずにをりましたが、御時世につれまして、此味をおぼへましたら、わすられませぬ」と語られることになる。牛鍋ブームを可能としその後の肉消費拡大を支えたのは、広範に存在した役牛であった。明治初期にはすでに100万頭を超す牛が主に農用として存在しており、耕耘機の普及する1950年ごろまで、一部の乳牛を除き、牛は役肉兼用として飼養されていた。本稿では、明治期から近江牛や江州牛、あるいは神戸牛として高評価の牛を送り出していた滋賀県を事例に、役牛から役肉牛への転換の中でどのように肥育技術が展開し、軟らかい肉を求めるひとびとの食欲に応えようとしたのかを検討する。その際、使役段階と肥育段階とがどのような関係として捉えられていたのかも、明らかにしたい。また、滋賀県における牛肥育が、高級肉消費地である東京との結びつきの中で展開したことも示す。